極悪と戦えば極善となる

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池田先生の前での演奏Ⅰ


「師匠に何回会ったとか、そばにいるとか、それは形式です。たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の『自覚』をもって、『師匠の言う通りにするのだ』と戦っていれば、それが師弟相対です」(2023・11月20付聖教新聞一面)


このブログを見て下さっている方の中には、直接、先生にお会いされたことがない方もいらっしゃると思う。しかし、師弟とは、物理的な距離ではないと師匠は仰せである。


私は一度だけ、先生の前で、鼓笛隊として演奏させて頂いたことがあるが、鼓笛の先輩から、「後に続く後輩のために、池田先生の偉大さを伝えるために、そのことを語り継いでほしい」と以前、言われていた。


自分のことを書くのは、恥ずかしい気持ちもあるが、先生がお亡くなりになられた今、時がきたんだと思い、記事にすることにした。


私は、小学三年の時に鼓笛隊に入隊した。
志望動機は「映写でみた鼓笛の演奏演技がかっこよかったから」
でも入隊試験の面接時、志望動機を聞かれた時は『音楽が好きだからです』と答えた。


結果は合格。かっこよさに憧れて入隊した鼓笛だったが、当時の鼓笛は「スパルタ」で、練習に遅刻するとグランド何週かさせられ(今だとパワハラになるのかな)、『勤行はきちんとしているか、題目は一時間あがっているのか、一日一時間の練習は出来ているのか』など、先輩の厳しい詰めが入った。


引っ込み思案だったので、最初は鼓笛で友達も出来ず、一人でお弁当を食べていると、見かねた先輩が『一緒にお弁当を食べよう』と声をかけてくれた。


高校生まで真面目に練習に通っていたが、短大デビューで学会活動も鼓笛の練習にも全く行かなくなってしまった。それを見かねた母は心配し『ランが鼓笛隊で池田先生の前で演奏できますように』とずっとお題目を送ってくれていた。


その祈りが通じたのか、ある日、鼓笛隊の同期の子に会館でばったり会う。その同期の子は、隊長になっていた。『ランさん、文化祭に池田先生が来られますよ。出場の試験、受けてみませんか?』と聞かれた。私は、『私は、いいよ~遠慮しとく。最近、練習に出てないし~』と断った。でも、その隊長は諦めなかった。『ランさん、試験うけてみましょうよ。チャンスですよ。先生の前で演奏できるなんて、なかなかないですよ』


私は、根負けし、文化祭出場の試験を受けることになった。
面接に合格し、再び練習に通うように。遠方での練習もあり、かなりハードだった。
送迎してくれた両親には、本当に感謝している。



いよいよ文化祭の本番の前日、大きな病魔が私を襲った。4キロあるアコーディオンを背負うこともできないほど体がつらかった。息を切らしながらリハーサルにのぞんだ。『こんなんじゃ、先生の前で演奏できない・・・』諦めようとしたが、ここまで頑張ってきて諦めるのは悔しい。『いや!先生の前で演奏するんだ!絶対してみせる!』