世界は変わる 常識は変わる
【あなたたちの世代は「命は大事にするもの」と教育されたのだろうけれど、私たちの世代は「お国のために、天皇陛下のために命を捨てるのが立派な生き方」という考えが常識だったの】
これは、戦時中に多感な青春を過ごされた方が語られたものだが、私の祖母も明治生まれで皇民化教育を受けて育ってきた人だったので、この考え方はなかなか抜けないと言っていた。
しかし、戦後、民主主義がもたらされて、価値観はガラッと変わった。
今、「常識」「当たり前」とされていることが、何年か後には「非常識」になっているかもしれない。
人権などなかった昔の江戸時代は、お百姓は、武士が通ると必ず土下座をしなくてはならず、しなかった者は「無礼打ち」といって切り殺されても文句がいえなかった。災害がおこると「神様のたたり」であるから「人身御供」といって、神へのお供え者として、人が生贄になっていた。
今は思想の自由があるが、戦前・戦時中は「天皇をあがめない者」「戦争反対の者」は、「危険思想の持ち主」だとされ、逮捕投獄されていた。
世界は変わる。常識は変わる。
「今のご時世、ロクなことがない、世界は良く変わるわけがない」と自分たちの可能性を否定してしまう姿勢は、私たち一人一人の己心にあるのかもしれない。
世界平和のため、私たち一人ができることは小さいことかもしれない。
でもその小さな一歩が大切だと思う。「ご近所さんに笑顔で挨拶をする」それも小さな一歩である。
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