極悪と戦えば極善となる

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リーダーの心構え

新人間革命29巻 「力走」より



「幹部は、会員の皆さんに負担をかけたりすることがないよう、よく注意を払っていただきたい。たとえば、会員の方の車に乗せてもらう場合でも、それを""あたりまえ""と思うようになれば、幹部として失格です。やむを得ず乗せてもらう時には、心から感謝し、お礼を言うべきです。人間として自分自身を厳しく律していくなかに仏道修行があり、人間革命があることを知ってください。」




物事は、小事が大事である。
大事故の多くは、一つ一つの細かい事柄への注意を怠ったことに起因している。
小さな配慮を欠いたことから、皆の信頼を失い、それが組織の停滞を招いた事例も少なく
ない。



「誰にもプライバシーがあります。いかに親しい間柄であっても、プライバシーは最大に尊重していかなければならないし、個人についての情報が漏れるようなことがあってはならない。幹部には守秘義務がある。それを、順守していくのは当然です」


「また、大勢のなかには、信心利用、組織利用の人もいるかもしれない。会員を守るために、それを鋭く見破り、よく注意していくようにお願いしたい。真の学会員としての道を歩まず、広宣流布のための仏子の集いである学会の組織を攪乱し、社会に迷惑をかけるような人を、看過してはなりません」


「時間に関連して申し上げれば、連絡、報告の連絡は簡潔にして、価値的に時間を使っていただきたい。また、幹部は、夜遅くまで会員の家にいるようなことをしてはならない。それぞれの家庭の憩いの時間もあるでしょう。けじめをつけていくことが大切です」



何事も、油断し、基本がおろそかになった時に事故が生じる。
広宣流布は魔との攻防戦であり、気のゆるみがあれば、そこに魔が付け入ってくる。

リーダーの要件

いよいよ下半期、新たな立場でスタートを切ることに。
自己を律していくため初心、原点にかえろうと思い、新人間革命29巻を熟読した。


「幹部は、皆に信心の養分を送り続けていく存在であり、そのためには、自らが信心強盛な先輩を求めて切磋琢磨し、常に成長を続けていくことが大事です。そうするなかで充実感も、希望も湧き、大きな生きがいも感じていくことができる。


なかには、一応は先輩幹部であっても、広宣流布への使命感も、情熱も乏しく、ともすれば組織の批判ばかりする人がいます。もし、そうした人たちと同調して、不平や不満を述べていると、自分も清新な信心の息吹を失い、堕落してしまう。残念なことに、これまでそういう事例を、幾つも見てきました。


次に、幹部の反社会的な行為や組織利用は絶対に許されないということを、深く心にとどめていただきたい。幹部に、そうした行為があれば、大勢の学会員を苦しめ、広宣流布の大きな遅れにもつながってしまう。


仮に、そういう幹部と親しい関係にあっても、決して擁護する必要はありません。
学会は、悪は悪であると鋭く見抜き、的確に対処できる健全な組織でなければならない。」


仏法の説く生命の因果の法則は、人間の規範、モラルの根本となるものである。
不正、悪事を行い、人の目をごまかすことはできても、仏法の因果の理法を逃れることはできない。どんな小さな悪事も、また、善事も、すべては報いとなって自分自身に返ってくる。


日蓮大聖人は「悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず」御書P768
と仰せである。この法則を、生き方の基としているのが仏法者である。


                      (「力走」の章より)

敵をも味方に変えれる信心

「相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ」御書P916


ー(大聖人を流罪にした)相模守(北条時宗)こそ善知識であり、平左衛門尉こそ、
""悪知識即善知識""であった提婆達多であるー



かつて職場の同僚に悪さばかりする「嫌なやつ」がいて先輩に指導を受けたところ


「その人にも仏界があるのだから恨んではいけない」


と言われ、それ以降、相手の成長を祈るように。


さんざん苦しめられ、悩まされたが、
お題目をあげさせてくれて、自分の生命を鍛え、
強くさせてくれるという視点でみたときは、自分に害を与えてくる人は最高の
善知識になるのだろう。



あることがきっかけとなり、勇気を出してその同僚の行為を破折していった。普段温厚な私が、強い口調で自分を諫めてきたことに驚いたようで、それからは""悪さ""をしなくなった。数年後、その人は私の強力な味方<諸天善神>へと変わり、なにかと助けてくれるようになっていった。



「相手の悪い心を折って、正法に伏せしむ」
というのが、折伏の本来の意味だが、勇気を出して破折していってよかったと思う。



「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」御書P762



折伏を行じていくことこそ、自分の悪い心も相手の悪い心も滅していくことができ、
善を生じさせることが出来る。



「善悪不二とは、悪をそのまま認めることではない。悪と断じて戦い、打ち破って、悪をも善の味方にしていくことです。仏法は勝負だ。負けたのでは、善悪不二ではなく、善が悪の奴隷となってしまう。断じて勝ってこそ、悪知識も善知識にしていけるのです」


               法華経の智慧 悪人成仏ー善の勝利の偉大なる証明より