極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

猫さんへ

当ブログにお越しいただきありがとうございます。
また、個人的な都合でご質問に対する返事が大変に遅れましたこと、お詫び申し上げます。


私なりにいろいろと思索したことを記していきたいと思います。


①のご質問「創価学会と日寛上人の関係性」について


日寛上人は宗門においても中興の祖と仰がれています。


江戸時代の大石寺において、謗法が蔓延し宗開両祖の御精神が失われつつあった時、
大聖人の教学の立て直しをはかり、宗内を改革、謗法厳戒の精神をよみがえらせたのが日寛上人です。


戸田先生は、「信心は大聖人の時代に還れ、教学は日寛上人の時代に還れ」と仰せられ、
日寛上人の教学をもとに研鑽してきましたが、現在学会では日寛上人の教学は「日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分」と「疲弊した宗派を護るという要請に答えて唯一正当性を強調する時代的な制約がある部分」があるので、両者をたてわける意味で日寛上人の教学の見直しを行っています。(会則の教義条項改正に関する解説 参照)


例えば、「時・応・機・法」という言葉がありますが、これは大聖人や日寛上人が考えた言葉ではなく、もともとは江戸時代の檀家制度で信者のニーズにあわせてつくられたものです。


それを日寛上人は「観心本尊抄」の題号にあてはめられて、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」という題号にはこの「時・応・機・法」の四義が具足するとされました。


仏法は「時」が大事です。
その時代に応じて法の説きかたは変わってくると思います。


②のご質問については 次回にお答えしたいと思います。

エンパシーが功を奏した婦人部総会

私は敏感な性質で、人にもの凄く神経を使う。


悩みの相談にのったりすると、必要以上に相手に共感してしまうために、話が終わると一気に疲れて寝込んでしまうこともあった。
夢に友人がでてきて苦しそうな表情をしていたので、気になって電話すると案の定、
悩みを抱えていて相談しようと思っていたと言われた。



私のような体質を、エンパシー(共感能力)が高い、エンパス体質というのだそう。
人の痛みなど自分のことのように感じてしまうため、正直、他人と関わるのが辛く、
しんどいことも多い。



だから他人と自分の考えが混乱し、自分を見失いそうになる時は、人とはいったん距離を
置き、一人になって自分を見つめなおすことで精神衛生を保っている。



しかし""人に気を使う性格、人に共感する能力""が、毎月の小グループでは大いに役立っている。「みなさん忙しい中、集ってきてくださるのだから全員に""来てよかった、元気になった""と心から思ってもらえるようなグループにしよう」と毎回、真剣に祈り、全力を尽くせているし、一人一人の話にじっくりと耳を傾けられる。



今回の婦人部総会では、バラ園でピアノ演奏をさせていただいた。
普段、仕事で忙しくなかなか会合に参加できないKさんが駆けつけてきてくれて
大いに盛り上がった。大輪に咲き香る美しいバラを眺めながらのティータイムはちょっぴり優雅な気持ちに。「時間に追われる毎日、たまにはこういう時間も必要だよね」



終了後、Kさんから「ピアノ感動しました、参加できてよかったです」と嬉しい連絡が。



「私、アガリ症なので人前で弾くときはミスタッチしないように、真剣に題目をあげて
一生懸命練習してから本番にのぞむんです」


「そうなんですかー?全然、緊張しているようには見えませんでした。
そんな思いをして一生懸命、弾いてくださってたんですね。心に響く演奏、ありがとうございました。」



このKさんの言葉で、私の疲れも一気にふっ飛んだ。
Kさんは、家庭においても一家和楽の実証を示し、職場においても
「いなくてはならない人」に。そんな彼女を私は尊敬している。



みんなが主役の婦人部総会。
先生が徹して陰のひとを大切にされているように、
私も陰で頑張っているグループのメンバーに、光をあてていこうと思う。



エンパシーを上手に生かすには、やはり自分自身をしっかり確立しておくことが大事になる。相手に共感、尊重した上で「自分」と「相手」の線引きはきっちりとおこなう。
稲はくっつけてすぎて植えると育たない。人間同士も同じ。
ほどよい距離感をたもちながら、風通しのいい人間関係を築いていきたい。

一切の原点は師弟にあり

戸田先生が亡くなってから60年たった今現在も、池田先生の心のど真ん中には戸田先生という「師匠」が厳然と存在している。


「戸田先生は、・・・と仰られた」と戸田先生の一言一言を生命に刻まれていて、戸田先生と若き日のご自分のエピソードなどをよく語ってくださっている。


「自分は一生涯、否、三世永遠に、この師と共に、広宣流布に生き抜くのだと覚悟を深めてきたのです」


師弟の距離は、「心」で決まる。
過去に最高幹部でありながら裏切っていった連中、また最近でも学会本部職員でありながら信心がおかしくなっていった連中は、身は先生のおそばにはいても心は遠く離れていたのだろう。


先生は、昨年90歳を前にしたご心境として、


「不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける」(大白5月号 世界を照らす太陽の仏法P37)


と決意を綴られた。



自分自身も常に心に師匠を抱き、一日一日、一瞬一瞬を大事に、どんな地味で小さな戦いであれ、丁寧にこなしていきたい。


私は先生亡き後が、本当の勝負であり、自分の信心が試されると思っている。
大聖人御入滅後、五老僧が「天台沙門」を名乗り謗法を重ねて裏切っていくなかで、
日興上人ただお1人、「日蓮聖人の弟子 日興」と生涯名乗られ、信念を貫きとおされた。



弟子の側の責任は重大だ。
弟子によって師匠の教えが正しく伝わるかどうかが決定づけられるからである。



よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず 
                      華果成就御書 P900