極悪と戦えば極善となる

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提婆達多の悪を徹底して糾弾した釈尊Ⅲ

「あなたたちは、あの五百人の比丘たちが、かわいそうだとは思わないのか。彼らが不幸にになる前に連れ戻してあげることだ」


釈尊は、何もわからぬままに、和合僧を破壊しようとする提婆達多に騙され、仏道を踏み外そうとしている比丘たちが不憫でならなかった。舎利弗と目連は、急いで象頭山へと向かった。まことの時に、敢然と立ちあがり、戦ってこそ、本当の弟子である。釈尊は弟子たちの行動をじっと見ていた。


釈尊がいかに正しく、まことの仏であっても、弟子の多くが提婆達多に従っていくならば、提婆達多こそが正義となり、仏であるということになってしまう。現実のうえで、正義を証明するためには、弟子たちを連れ戻さなければならなかった。


(提婆達多は)二人が山に登って来るのを見ると、にやりと笑い、仲間に言った。


「ほら、見なさい。瞿曇の最高の弟子である舎利弗と目連でさえ、私の教えを求めて、喜んでやってきたではないか。これで、私の教えがどれほどすばらしいか、よくわかったであろう」


釈尊の最高の弟子である二人が、自分を慕って来たと思った提婆達多は、嬉しくて仕方なかった。仲間の一人が答えた。


「いや、彼らを信じてはなりません。何を考えているのかわかりません」
「心配は無用だ。私の指南を求めているからこそ、ここまで来たのだ」


傲り高ぶった彼には、何も耳に入らなかった。そこに慢心の落とし穴もある。


               (新・人間革命第3巻 仏陀の章より一部抜粋)