極悪と戦えば極善となる

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提婆達多の悪を徹底して糾弾した釈尊Ⅳ

提婆達多は、努めて鷹揚に振る舞い、喜んで二人(舎利弗と目連)を迎え入れた。
そして、得々として、従ってきた比丘たちに説法した。彼の話は、実は、ことごとく釈尊の受け売りであった。しかし、比丘たちは目を輝かせ、真剣に提婆達多の説法を聞いていた。


その間、舎利弗と目連は、反撃のチャンスを待っていた。やがて、疲れ果てた提婆達多は舎利弗に言った。


「ここにいる比丘たちの求道の姿を身よ。眠ろうとさえせずに、真剣に法を求めているではないか。舎利弗、彼らのために、私に代わって説法してやってほしい。私は背中が痛くなった。少し休もう」


それは、高齢の釈尊が、疲れた折に、しばしば行っていたことであった。
彼はその振る舞いをみねてみたかったのかもしれない。


舎利弗が説法を始めた。提婆達多は、そのまま横になり、眠ってしまった。


いよいよ反撃の好機は到来した。二人の戦いが始まった。


舎利弗と目連は、苦行に等しい五つの戒律を守ることは、本来の仏陀の道ではなく、提婆達多が教団を分裂させるために画策したものであることを語り、釈尊の教えの正義を叫んだ。
さらに、和合僧の重大な意義を訴え、それを破らんとする提婆達多の反逆を、鋭く暴いていった。五百人の比丘たちの智慧の目は、次第に開かれ、自分たちに分別がなかったために、提婆達多に騙されていたことに気づいた。彼らは、舎利弗と目連に促され、再び釈尊のもとに帰っていったのである。


やがて、眠りから目が覚め、仲間から事の顛末を聞いた提婆達多は、憤怒に震え、その場で熱血を吐いて死んでいったと、ある仏典では伝えている。


弟子の戦いが、釈尊の、そして、教団の窮地を開いたのである。


舎利弗と目連の偉大さは、ただ、智慧や神通力に優れていたことにあるのではない。
まことの時に、その力を発揮し、勝利の旗を打ち立てたことに、彼らの真価があった。
釈尊の教団は、見事に分裂の危機を脱した。


一方、提婆達多にそそのかされて、釈尊に敵対し、父の頻婆沙羅を死にいたらしめた阿闍世王は、重病にかかってしまった。そして、深い反省の末に、遂に釈尊に帰依したのであった。釈尊滅後、阿闍世王は、経典の結集に協力するなど、仏法の興隆に尽力したことは、よく知られている。
          (新・人間革命第3巻 仏陀の章より一部抜粋)


なお、提婆達多の死に関しては、釈尊の命を狙おうとして教団に近づいていったときに、大地が割れて、そこに落ちて死んでいったとされる説もある。


提婆達多は、後悔の心をおこし、助けを求めて釈尊の名前を唱えようとしたが、悪業が深くて臨終の時「南無」としか唱えられなかったと大聖人は「撰時抄」で仰せである。


「提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱えたりき、仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを業ふかくて但南無とのみとなへて仏とはいはず」
                            (御書全集P287)


【釈尊は徹底して提婆達多の悪を責めました。そのことは疑う余地がない。実は、悪を責めることで悪人を目覚めさせることができるのです。妙法の正義の声を聴くことで、悪人の心に眠っていた仏性が動きだすからです。しかし、悪人の心は厚い岩盤のような無明に覆われているから、弱い声では届かない。悪を厳しく責める糾弾の声こそが、その岩盤を打ち破って仏性を照らすのです】


【正義が沈黙してしまえば、悪がますますはびこってしまう。悪人自身が悔ゆる心をおこすまで、悪を責め続けるのが慈悲に通じるのです】


【御本尊には単に、悪逆の限りを尽くし、至極の苦悩にさいなまれている提婆達多が描かれているわけではない。妙法の光明に照らされて、地獄界の調和していう使命を帯びて、まさに提婆でなければなりえない地獄界における妙法の使者となった提婆達多をみているのです。提婆一人の成仏が無数の悪人成仏の道を開いたといえる】
                 (御書の世界第2巻 御本尊(下)より一部抜粋)