極悪と戦えば極善となる

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良い人アピール作戦?

「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種々の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(御書全P232)


【日寛さんが、大聖人の開目抄を排して、あの有名な一節を読むと涙が出てきて仕方がないと。僕も昔御書を読んでいて涙が落ちることがありました。(中略)そんなふうに考える僕は異常人格者なんですかね?】



「昔御書を読んでいて涙が落ちることがあった」のは、創価時代か法華講時代かは不明ですが、創価ダメ出し系某ブロガーさんの↑の記事を読んで、この方の「良い人アピール」、さすがはですね、裏では姑息な手段で学会を切り、表では「良い人アピール」していた裏表の激しい二面性をもっていた日顕のお弟子さんとしかいいようがないなあと思いましたけれども。日顕に師弟不二すると日顕師匠にそっくりになるんですね。



【自分の純粋さを演出し不信感を払拭しようとする魔性の心理】



『私の顔が〇〇〇〇のようなことをした顔に見えますか?』 


 (見えないですと言ってほしくて周囲に同意を求める
             1992年7月夏季法華講登山会での日顕の発言 於大講堂)



『私はもう覚悟している。大聖人様のですね、こういうお言葉がありましたよね。「所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候」私はもうこの御文を排した時には涙がですね・・・(嗚咽)・・・』


  (C作戦が暴露され動揺した時の日顕の発言・平成3年1月6日全国教師指導会 於大石寺)



ちなみに日寛上人が開目抄を排して流された涙と、C作戦暴露で動揺して日顕が流した涙は全く違うものなので、同一視されないよう、よろしくお願いします。