極悪と戦えば極善となる

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御不敬をした人は救われるのか


戸田城聖先生05b_質問の部No1-登山会の質問会2_19571019於総本山客殿


(御不敬をしてしまった人は救われるのか、との質問に対して)


「救われます。その代わり条件がある。その人は、地獄へいっぺん堕ちて、もう悩み切って、それで懺悔して、それから救われます。救われますよ、それを逆縁という。救われるには救われるけれども、すぐには救われないぞ。借金して払わんでいいですか、それじゃ困る(笑)」



「一度、地獄に堕ちなゃあ、ならん。ただ、救われることは救われる。縁を結んだんだから。以上、終わり」



              (戸田城聖先生 登山会質問会 1957・10・19)


戸田先生は、豪放磊落、指導は自由闊達。


「今日は荒いぞ。覚悟して聞け、今日は荒いから(笑)」17:58~


法華講員が、かつての戸田先生の指導を引いて、宗門の正当性を強調しているのをネット上でよくみかけるが、戸田先生が日蓮正宗の信徒である以上、大御本尊を讃嘆したり、時の猊下を擁護する発言をするのは当然のことである。当時は僧俗和合して、ともに広宣流布という目的に向かって前進していたのだから。



「あのおじいちゃん(堀日亨猊下)、ヤカマシイんだよ、とってもヤカマシイから僕(戸田先生)とよくケンカになる」


堀日亨上人は、宗門の碩学と呼ばれていたが、権威を嫌い、若い所化にも自分のことを「おじいちゃん」と呼ばせていた。そういう気取らない人柄だったから、戸田先生も信頼をよせていたのだと思う。関西文化祭の後に「日顕上人猊下と言ったが、なぜ御法主上人と言わなかったのか」という一言をいうために、わざわざ登山を強いる日顕とは大違いである。


宗門が「僧侶主導の広宣流布」を唱えるのであれば、法華講員は一信徒である戸田先生の指導ばかり引用するのではなく、力のある僧侶の指導の引用をして破折したらどうか。もっとも、今の宗門にそんな力量を持った僧侶がいるとは思えないが・・・・。