極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

指導を受けることの大切さ

私が派遣で部長をさせていただいていたころ、ずっと若い後輩が上の役職についた。
いろいろスッキリしないことがあり、『このままでは、異体同心の団結が崩れてしまう』と思い、自分の依処に指導を受けた。


一通り話を聞いてもらったあと、こう言われた。


「あなたが、その人を日本一にするんだよ」


その一言で、ずっとモヤモヤしていたものが、パッと一気に晴れた。


その日から『私が〇〇さんを日本一の本部長にします』と祈りはじめた。


その後、私の部が折伏で次々と結果を出し、聖教全国版にも取り上げられるなどして、その年に本部が「最優秀本部」として表彰を受けた。祈った通りになったと思った。


あの時、指導を受けてなかったら、モヤモヤしたまま、すっきり戦えなかったと思う。
魔を切っていくにはもちろん唱題第一だが、それでもスッキリしない場合は、自分が最も信頼している依処に指導を受けることは大切。

広布のための祈りは必ずかなう

ブロックを後輩と一緒にまわっている時、いろいろな話をした。


『ウチのブロックは若いママさんたちが多いよね』


『そうですよね。今は育児や家事、仕事をこなすので一杯一杯な感じです』


『そうだね。女子部の時は頑張っていた子もいるので、長い目でみてあげないといけないね。私の女子部の時の後輩は、「忙しすぎて題目あげる時間がない」って悩んでる』


『そうですか。ご主人が信心に反対のメンバーもいますね』


『部員さん、それぞれ状況違うよね。少しでも活動に参加できるように祈っていくしかないよね』


『活動家を増やすのにどう工夫されたのですか?』



『私が正役職になった時、活動家がゼロだったので、とにかく祈ったよ。100万遍あけて1人、200万遍あげてまた1人と素晴らしい人材が引っ越してきたよ。300万遍あがった時に引っ越してこられたのか、あなたでーす(笑)』


『そうだったんですか。広宣流布のための祈りは必ずかなうんですね!』


『だよね~。私も先輩のお題目に引き寄せられて、この地に引っ越してきたよ。ここに使命があったんだね』

懸命に信心して功徳を感じられない場合


【御書には、悪の因をつくるものとして、十四の誹謗が挙げられているが、そのなかに軽善、憎善、嫉善、恨善がある。信心している人を軽んじ、憎み、ねたみ、恨むことが、それにあたる。懸命に、これほど信心をしているのに、功徳が感じられないという場合があるかもしれない。そのときは、この四つの誹謗がないかを、自分に問うてみていただきたい。
軽善、憎善、嫉善、恨善の人は、自分で自分の功徳を消してしまうからである】


【もちろん、同志に対しても、言うへきことをきちんと言っていくことは自由であるし、
当然、必要なことである。しかし、相手を思って厳しく言うことと、憎しみの心や恨みの
言葉は同じではない】



【日蓮大聖人は、松野殿が質問された『聖人が唱えられる題目と、私たちが唱える題目と、その功徳に違いがあるのでしょうか』(御書全P1381)との疑問に対して、『違いはない』とされたうえで、『ただし、法華経の心にそむいて唱えれば違いが出てくる』と教えられている】


【その「法華経の心にそむく」ことを具体的に述べたのが十四誹謗である。「松野殿御返事」では、妙楽大師の『法華文句記』の次の文を引かれて、十四誹謗を明かされている】


『悪因には十四の誹謗がある。一には驕慢、二には懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善である』(御書全P1382)


【「正法」への誹謗と「正法を信じ行ずる者」への誹謗が、ともに地獄の因となることを明かしている】
                                                                                                      (池田先生)