極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

池田先生の名言 日顕の名言

SNSで「池田大作の名言集」というサイトをみつけた。宗教団体とはいえ、あれだけ信者を増やし、これだけの規模にまとめあげたノウハウは、ビジネスでも応用できるとして称賛。
非常に人徳があり、平和活動家で「行動する詩人」との異名をもち、世界各国の大学教授にもなっていると、その偉大な軌跡を紹介している。以下はその名言集の一部である。


池田先生の名言


「希望は常に出発であり、永遠の始まりである」


「人生の勝利も全て勇気から始まる」


「偉大な人とは平凡であることを知った人のことである」


「一生涯を同じ志に生きる」


「真面目と努力に徹した人ほど強い者はない」


レベルが低すぎて比べるのもおかしいが、「行動する詩人」に対して
「瞬間湯沸かし器」との異名をもつ阿部日顕が残した名言(暴言?)


「ボンクラどもが千万人おるよりも仏様一人が正しい」


「信心が嫌になろう何しようがそんなことは関係ないんだ。くだらないことを言ってはダメだってことを頭からカマシしやればいいんだ、そんな者に対しては」


「『あー私は若いときにチャンとあそこへ遊びにいきましたよと』と堂々と言い切るくらいの覚悟をもちなさい!」


「民衆、民衆っていう奴ほどバカなんだ」



例の日顕宗信徒は、池田先生の臨終が語られなかった云々難癖をつけているが、
池田先生と日顕、さあ、どちらが人徳者なのであろうか?

鈴木日恭の死を美談にした宗門

日蓮正宗第62世鈴木日恭は法主という立場にありながら、戦時中、軍部に迎合し、神札を受ける、御書の要文を削除する、命をかけて戦っている在家の牧口戸田両先生を見捨てる、末寺に伊勢神宮への遥拝を徹底するなど、数々の謗法行為をなしてきた。


鈴木日恭は、所化の火の不始末による火災で悲惨な死を遂げる。
しかし、「日蓮正宗布教会」が発行した本で、宗門は「大石寺の火の出火の原因を朝鮮農耕隊によるものである」と、罪を朝鮮農耕隊になすりつけ、放火によるものである、と捏造した。


「国家の罪障を消滅しようとして、御老体を焼いて自決の道を選ばれた」


と同書にはあるが、日恭の死については、


「法主上人が此くの如き御最後を御遂げになったと云ふことは僧俗共に深く考へねばならぬことで、これは大聖人大悲の御誡であります」(中島日影)


「宗門全体に対する御罰でなくてなんであろう、今こそ宗門僧俗一同の責任に於て深く総懺悔をしなくてはならぬ」(渋田慈旭)


と宗門の高僧二人が【法主が悲惨な最期を遂げたのは、数々の謗法行為への大聖人の誡めであり、宗門全体への罰である】と反省の弁を述べている。

ある日顕宗信徒の屈折した感情

創価カテにいたころから学会批判に明け暮れているこの日顕宗信徒、創価学会員に折伏され日蓮仏法にめぐりあえたのだという。


「創価学会の謗法者達を折伏し正心に目覚めさせることが池田の罪業を減らすことであり池田への供養となると思っている」


この書きこみから、池田先生への愛憎というか、屈折した感情が読み取れる。
学会から除名されたことを相当、恨みに思っているようだが、
よっぽどのことをしでかさないと除名処分にはならないはずだ。


自分を見つめることが出来ず、自分の不幸を他人や環境のせいにする者は、人間的成長ができない。お題目を唱えていても、自分自身の生命の外に幸せを求めるなら、妙法ではないと大聖人は仰せである。


【妙法蓮華経を唱え持つというとも、もし己心の他に法ありと思わば、全く妙法にあらず。麤法なり。麤法は今経にあらず。今経にあらざれば、方便なり、権門なり。方便・権門の教えならば、成仏の直道にあらず】
                       (一生成仏抄 新P316)