極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

悪に妥協すれば生命力が奪われる

「自他不二」であるゆえに「広布の敵」の悪に妥協した分、「自分自身の生命」の悪をも許すことになってしまう。それだけ自分が不幸の方向に進んでしまう。悪の‘’根‘’を切る戦い。それは、わが身の悪の‘’根‘’を切り、不幸の‘’根‘’を切る戦いなのである。
               (2023・11・11付聖教新聞2面池田先生の御指導より)

「日顕宗とその一派は「奪命者」であり、「奪功徳者」なのである。地涌の菩薩の生命力を奪い(奪命者)、功徳を奪おうとする(奪功徳者)。彼らと妥協した分だけ、生命力と功徳を奪われる。彼らと戦った分だけ、生命力と功徳が、いや増す」
                     (1993・11・29 池田先生の御指導より)

自他共の悪を滅する折伏行

【正しく、力のある教えであるならば、功徳と罰という二つの現証が必ず生じるんです。また、大聖人は、この功徳について『悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり』(全P762)と、仰せになっています。これは、自身の生命の悪を滅して、善を生じていくことが功徳であるとの意味です】


【つまり、功徳といっても外から与えられるものではなく、自分の生命のなかから、泉のごとくわき出してくるものです。そして、依正不二という仏法の原理で、自分の環境を変え、幸いを万里の外から集めることができるんです】


【さらに、人の悪を滅し、善を生じさせていく行為が折伏です。ゆえに、折伏を行ずること自体が、人に功徳の道を開くことであり、同時に、それによって、自分自身も功徳を受けていくことになります。これが日蓮仏法です】


【さて、仏法は、人びと幸福を願う慈悲の教えですが、慈悲には、悪と戦う勇気が不可欠です。もし、悪を放置しておけば、結局は悪がまかり通り、皆が不幸になってしまうからです。したがって、邪悪と戦ってこそ慈悲であり、本当の仏法者であると、申し上げておきたいのであります】
         (新・人間革命4巻P122~凱旋の章より 池田先生の御指導)

勇気を出すんだ

ご近所の方から、ある相談を受けた。「公明党の議員に言っておきます」
と威勢よく答えたものの、町の公明党議員に電話をするのは初めてで、
「人見知りで緊張しい」の私はドキドキした。
その時、またしても「己心の師匠」の厳しい叱咤が飛んだ。


「勇気を出すんだ!しっかりするんだよ。自分の住んでいる地域を大事にするんだ。いいね、頼んだよ」


勇気を出して、コンタクトをとった。その公明党の議員はすぐに動いてくれ、議員と一緒にそのお宅を訪問した。そのご近所の方は大変喜んでくださって、こう言われた。


「相談したことが、通らなくてもいい。‘’すぐ動いてくれた‘’ことが嬉しいの」


嬉しかった。勇気を出して本当によかった。


その夜、池田先生のお写真を見ながら、「先生、私は勝ちました」とご報告した。
「全部みていたよ。よく頑張ったね。嬉しいよ」
お写真の先生は微笑んで、そう言ってくださっているように感じた。



【根本は題目です。「広布のために勇気を出させてください。相手に真心が通じ
るように!」と真剣に祈ることです。そして大事なのは、先輩と同志と一緒に活動することです。一人ではなかなか勇気がでない】


【何でもいい。一歩を踏み出すことだ。苦手な人に笑顔で挨拶できた。これも勇気です。「面倒だな」と思うけれども、頑張って会合に参加した。これも勇気です。その一歩から、自身の人間革命も大きく進んでいく】
         (池田先生の‘’勇気‘’に関する御指導より  御書と青年)