極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

一家の宿業を背負った私の弟

 最近は、邪宗のことは他宗といい、その害毒が学会員同士で語られることはあまりなくなってきた。しかし、自分自身の宿命を見直すため、あえてそのことを記事にしてみようと思う。


 私の実家は、もともと真言宗であるが、その害毒といえば、一家の柱が立たない、男性が病弱であったり早世する、リウマチなどの手足の病、血液、骨の病。また、生命が傲慢、裏で暗躍したり、自己を正当化する。頭破作七分的言動。


 我が家の真言の宿業を背負ったのは、私の弟だった。本人のプライバシーのため、一部事実を変えた表現をしていくことをご了承願いたい。


 弟は子供のころは可愛くて明るく、学校ではクラスの人気者だった。
その弟が変わりだしたのは、喘息を患い入退院を繰り返すようになってからだ。
身の病をきっかけに心の病も発症してしまったのか、たびたび嘘をつくようになり、両親や周囲を振り回して困らせるような行動をした。


 しかし、本人は自分がやったことを全く覚えていないという。


「姉ちゃん。ボクはやってない。」


と泣いてうったえてきた。私は弟のいうことを信じた。
しかし、後に弟の嘘が発覚し、裏切られたような、虚しいようななんとも言えない気持ちになった。同じことを何度も繰り返す弟に苛立ちを覚え、


「あんたのせいで、○○家はメチャクチャよ」


とつい責めてしまったこともあった。


その後、弟のことで指導をうける機会があった。その幹部の方は御書を開き、



【若し己心の他に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり】一生成仏抄P383


の御文を引かれ、こう言われた。


「弟さんは、あなたに信心を教えるために、一家の宿命を背負って、したくもないことをして、苦しんでいるんですよ。だから絶対に恨んではいけない。」


"" そうか・・弟の宿業じゃない、我が家の、そして自分自身の宿業だったんだ。""


私は自分の浅はかさを反省し、それ以来、弟のことを責めるのをやめた。
唱題を重ねていくと、弟に対する感謝の気持ちがでてきた。
(おかげで、お題目がよくあがるわ。ありがとう)


時間はかかったが、薄紙をはぐように弟は変わってきた。
今では、嫁いだ私の代わりに、両親の面倒をよくみてくれている。


身を呈して信心を教えてくれた弟には感謝である。




法華経をすつるは地獄の業なるべし

 最近、リアルで忙しくなり久しぶりの更新となる。
昨日、幹部の方から貴重な話を聞くことができた。


 戦時中の弾圧中、特高刑事の過酷な取り調べに耐え切れず、退転してしまったうちの一人の方から体験を、青年部時代に、ご本人から直接きいたそうである。


 特高刑事に、「家族を手入れする」と脅され、やむなく信心から離れてしまった。
ここでは詳細はかけないが、それからその方には厳しい仏罰が下ったとのこと。


 戦時中の刑務所は、今の刑務所からは想像できないほど過酷な環境だったと思う。
実際、取り調べを受けた者の中には、ノイローゼになり、自殺を図った者もいた。
そのような環境の中で信心を貫きとおすのは、並大抵な精神力でないとできないだろう。
改めて、牧口先生、戸田先生の偉大さを感じずにはいられなかった。


今は時代が違うが、この話を聞いて、決意した。


「信心とは命がけでするものなんだ、何があっても絶対に退転しない」


『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』御書P232

宿業はかりがたし

 人間を深めることを忘れると、どうしても難に遭えば卑屈になり、周囲を恨むようになる。それが人間の常ともいえる。そうならないためにも、深く自分を見つめ、自分自身を絶えざる成長へと高めていく努力が必要になってくる。


 「宿業はかりがたし」です。
万人の魂を救うための徹底した人間生命への凝視なのです。人間の生命に対するこれほどの厳愛はありません。人間生命の可能性への深い慈しみと、人間生命への弱さへの同苦が、この生命凝視の根本にあると排したい。


 創価学会の偉大さも、同苦の実践にあります。
自分自身も宿業転換の途上で苦しんでいる。その人が他の人の宿業転換のために戦うから、崇高なのです。
      
           御書の世界 第二巻 佐渡流罪(下)より 一部抜粋