極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

苦悩を突き抜けて歓喜へⅡ 母の難病とお題目のチカラ

私の母は、15年ほど前から難病を患い、自由に歩けなくなった。
ある日、そのことについて幹部に指導を受けた。


「母は、女子部のころから信心を頑張ってきたのに、なんで難病になったのですか?」


するとその幹部の人はニッコリ笑顔でこう答えた。


「お母さんが長年、信心に励んできて病気になった。これは功徳だよ」


・・・・え?病気になったのが功徳?わけわからん・・・


納得いかなかった私は、スッキリするまでお題目をあげようと思い、5時間、6時間とひたすら唱題会を重ねた。お題目をあげているうたに、自分の中の不信の生命が変わっていくのを実感した。


・・・母は、私に信心を教えるために、あえて難病の姿をしているんだ。病気になって歩けなくなっても泣き言ひとつ言わず、母は本当に強い人だ。私なら、耐えられないかもしれない・・・・


それまで‘’病気になって可哀想‘’と思っていた母に対する私の見方が変わった。


現在、入院しているが病院のスタッフから「ちゃんづけ」で呼んでもらって可愛がられ、あらゆる面で本当に守られている。お誕生会まで開いてもらって幸せそうな母をみているとこちらまで嬉しかった。


病室で母は私の手を握り「南無妙法蓮華経」と唱えた。
たとえ病気を患っていても、信心で培ってきた‘’心の財‘’は消えないんだと、
母の成仏を確信した瞬間だった。


苦悩を突き抜けて歓喜へⅠ 私の骨折

日蓮仏法は、自分自身を偉大な存在と信じる宗教だ。
自分の中に仏はいると説く。



新聞啓蒙出来て喜んでいた矢先、私は転倒し左足を捻った。
激痛が走り、しばらく立てなかったが、会合に向かう途中たったので、
ひきずりながら、根性で会場に向かった。


が,次の日、左足は歩けないほど腫れあがり、病院でCTを撮ってもらうと案の定、骨折していた。


‘’こんな痛い思いをするなら、頑張らなきゃよかった‘’


という思いが一瞬、脳をかすめたが、


‘’いや、頑張っているからこそ、真言宗の、過去の謗法の罪障が一気に出てきたんだ。絶対に負けない!‘’


と思い直し松葉づえを突きながら、その後も啓蒙に歩いた。


普段、当たり前のように出来ていたことが出来くなる。
トイレにいくのも、入浴するのも、いつもの倍はかかった。


‘’どうせなら、この不自由さを楽しもう‘’


と思い、家の中は手をついて這って移動していたので
「二の腕の筋トレが出来てラッキー」とポジティブにとらえた。
車椅子に乗る人の気持ちって、こんな気持ちだったんだ、と思い、リハビリセンターで同じような境遇の人たちとたわいもない会話をして楽しんだ。


病院の先生からは「あんた、このままだと一生歩けなくなるよ」と脅されたが、
学会で培った負けじ魂で励んだリハビリが功を奏し、久しぶりに二本足で立てて、洗濯物を干すことができた時の感動。


心の中で、‘’私は、勝った‘’ と思った。


私たちの心と体は、もの凄いんだ。
人間は、どんなことになっても生きていける。



悪には対しては根に持っていかなければならない

広宣流布においては、日蓮大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。日本的な「水に流す」とか「みそぎ」とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、じつは「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は精神の敗北である。


日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。
仏法は、「人情論」ではない。「正義の大闘争」である。


日興上人も、「五老僧」とその一味を、最後まで許しておられない。
「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、なんと四十年後である。
ご入滅の直前の「日興遺誡置文」でも、厳しく「五老僧たちの立てた宗義は、ひとつひとつ、すべて師匠である日蓮大聖人のご化導と違っている」と破折しておられる。


最後の最後まで、追撃の手をゆるめておられない。


           (輝きの人間世紀へ 御書とその心より一部抜粋)