極悪と戦えば極善となる

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日達猊下を誑かした山崎正友の巧妙な手口

以前、しくじり先生というバラエティー番組(2014~2017年 テレ朝系)が好きでよく見ていた。特に印象が深かったのが、洗脳されて財産をむしり取られたという辺見マリさん、毬谷友子さん。


洗脳される過程には、四つのステップがあったという。


A・・安心 (心が弱った時に優しくしてくれる)


O・・驚き (自分の苦悩などを知っている)


S・・嫉妬 (嫉妬させて対立をあおる、独占欲をかきたてる)


K・・囲い込み (周りから孤立させ情報を遮断し、自分だけを信用させる)



この洗脳の手口、極悪人の山崎正友が自己の欲望のために周囲の人間をつぎつぎに誑し込んでいった手口とよく似ているなと思った。


創価学会の顧問弁護士であった山崎は、S49年、日蓮正宗の講であった「妙信講」(後の顕正会)の対策で、宗門の浜中和道という若手僧侶と親密になる。浜中和道は少年得度の一期生で、""日達上人のお耳役""、様々な情報を流すパイプ役を務めていた。


山崎は、この浜中に、


「池田さんは、日達上人の弟子を吊し上げて、その責任を猊下にとらせ、その後に阿部さんを据えようとしているんです。和道さん、そのことを大至急、猊下の耳に入れて、くれぐれも気をつけるように言ってください」


などと言って、日達猊下の危機感を煽った。


また、他にも


「会長本仏論を唱えている」
「学会が宗門をのっとろうとしている」


などと様々な怪情報をこの浜中に流し続けていった。


後年、浜中和道は、回想録の中で以下のように述べている。


「山崎氏は既にこの時、宗門と学会を離間させ、マッチポンプをして大金を手にすること、果ては池田会長の辞任を戦略的視野に入れて、策を腹蔵していたと思われる。私はそのために宗門に対する手駒として山崎氏に利用され始めたと言える。しかし、当時、私はそのことにまったく気づかなかった。私が山崎氏の奸智を身に染みてわかるようになるまでには、恥ずかしい話だが、その後、十数年の歳月を必要とするのであった」
                            (浜中和道 回想録より)


山崎は、日達上人に取り入ろうと躍起になり、様々な策を弄した。


土地ころがしで得た""黒い金""四億五千万のうちの五千万円を、


「私ごとき者が手続きの都合上、やむなく大金を手にしました。私には浄財であるこのような金を使う資格はありません。猊下、お使いください」


といって渡し、心臓が悪いと聞くと入院させ、他の情報から遮断し、あることないことを吹き込み、自分だけを信用するようにしむけて洗脳していった。


私は「山崎の奸智をなんで見抜けなかったんだろう」と考えてみた。
しかし、これは決して他人事ではない。


日達上人は、S47年ごろから身内の不祥事などで心を痛め、心労が重なり精神的に不安定な状態だったという。心が弱っているときには、悪人が付け入る隙ができやすい。


「人間には皆、心の隙間があって悪い人間はその心の隙間を狙っている」
「""自分はここを責められると弱いな""という弱点を知っておくこと」


と毬谷友子さん。


魔に付け入れさせないためには、
SNSなどの情報、人のいうこと、噂など何でも鵜呑みにしないで
その情報源を必ず自分で調べ、冷静に判断していくことが大事であると思う。


「日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず」御書P1340


魔は大聖人にさえ取りつこうとした。


「絶対に魔につけいるスキを与えてはならない。
意識し、自覚して""魔を打ち破っていく祈り""がなければならない。
どのような高位の人であれ、否、立場が上であればあるほど、
信心の戦い、広宣流布の戦いをやめてしまえば、たちまち魔に食い破られてしまう」
               (輝きの人間世紀へ 御書とその心より)


情報に惑わされず、つくべき依処を間違えず、御書を根本にして
鋭く正邪を見極める眼を培っていきたい。


            ー参考文献 北林芳典著 二枚舌 山崎正友と宗門問題ー
          


猫さんへ⑦

「学会は在家なので僧伝は受けていませんから」



途中の人師からの「僧伝」を受けるより、大聖人から「相伝」を受けるほうが大切ですよね。



「此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までに経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり」御書P781



御書の通りに如説修行している法華経の行者を""必ず仏の如くに""敬っていくことこそ、
大聖人からの相伝を受けたことになるのです。



それは、日蓮正宗要義の「随力弘通の任に当たる本宗僧俗のすべてが僧宝である」という言葉にもつながるのではないですか。



「在家だから」「信徒のくせに生意気な」と仏子を見下し、謗っている者は、法を謗ることになり、たとえ僧侶であっても大聖人からの相伝を受けたことにならないのです。



猫さんへ⑥

戸田先生の「御法主上人は、六十四代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として
大聖人そのままの御内証を伝えておられるのです」との御指導について


「別体三宝」と「住持三宝」という表現は、いつの時代から正宗でされていたのか私には
わかりません。戸田先生が当時↑のような御指導をされたのは、その「住持三宝」という正宗の教義に則ってされたものと思われますが、


もともとの三宝の意味は、仏法者が敬うべき三つの宝のことで、汚れなく、威徳があり、衆生を救済する宝のこと。


時の法主が、「汚れなく、威徳があり、衆生を救済していけるような徳のある人物」であるならば、間違いなく僧宝にあたるのでしょう。


しかし、遊興にふけようが、所化に暴力をふるおうが、「カマシ」を入れようが、相承を受ければ、どんな人物でも直ちに「大聖人の法魂が宿る」などと、やみくもに尊ぶのは間違いです。


戸田先生は、「御僧侶」は尊ばれましたが、堕落した「悪坊主」には、烈火のごとく叱責されました。戸田先生が登山されると、やましさのある坊さん連中は、怖くて逃げまわっていたそうです。


戦時中、神本仏迹論の邪義を唱えた宗門の悪僧、小笠原慈聞をそのまま放置せず、
牧口先生の墓前で謝罪させた話は、元・学会員の猫さんならご存じでしょう。


もし、戸田先生のご存命中に、日顕のような人物が法主だったら、容赦なく弾劾されていたと思いますよ。「宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え・・!」「追撃の手を緩めるな」というのが戸田先生のご遺訓ですから。