極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

大聖人御在世当時は何故「造仏」が許されたか

大石寺第十七世日精の「造仏」(釈迦像をつくり末寺に安置)を指摘すると、「大聖人御在世当時も造仏が許されていたんだから、いいではないか」との主張がある。



確かに御書を拝していると「真間釈迦仏御供養逐状」(全・P950)「日眼女造立釈迦仏供養事」(全・P1187~)など、釈迦像の造立を容認した御文がある。これは、本尊というと「仏像」というのが当たり前だった時代、阿弥陀仏や大日如来などの「架空の仏」を廃して、釈尊を敬ったことへの讃嘆と受け止められる。そのことがわからず、大聖人滅後、釈迦像を本尊とした五老僧に対し、日興上人は「日興が云わく、聖人御立の法門に於いては全くの絵像・木像を以て本尊となさず。ただ御書の意に任せて妙法蓮華経の本尊を以て本尊とすべしと。即ち御自筆の本尊これなり」と厳格に破折されている。


大聖人の本意は仏像を信仰対象にすることではなく、『法華経の題目を以て本尊とすべし』(全・P356)『一念三千を知らざるものには仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裏み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う』(全・P254)と仰られているようにあくまでも法華経の題目、十界互具・一念三千の南無妙法蓮華経の文字曼荼羅を本尊とあがめることにあった。しかもその本尊とは、『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつりて』(全・P557)『此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』(全・P1244)と仰せのように外にあるのではなく、『自分の内』にあるとされた。


こうした教えは革新的で、大聖人御在世当時は、己心の外に信仰対象があるとし(阿弥陀仏、大日如来など)、凡夫の中に「仏界がある」と説く宗教はなかった。観心本尊抄などの内容をみても、「我々凡夫の中に釈尊のような仏界があるとは信じられない」と、問者がいう場面がある。


では日蓮大聖人は「一念三千の法門」を仏像にせず、何故、文字曼荼羅で表現されたのであろうか。池田先生はそのことについて、以下のように仰られている。


【絵や彫刻などでは、永遠にして普遍的な法を表現するのは困難です。文字は、「心」へ、「因」へと導きます。これに対して、絵・像は「果」に執着させる傾向がある。それゆえ、決して、南無妙法蓮華経という因業果徳をすべて具した根本法を表し尽くすことはできません。色心の二法のうち、心は言葉で表現されます。御書にも「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(全・P563)と仰せです。そして言葉は文字によって記し伝えていくことができる。仏の心が文字に記され伝えられたものが経典です。文字は「心」の表れです。その文字に、永遠に人々を救う仏のはたらきが具わるのです。大聖人は「仏は文字によって衆生を度し給うなり」(全・P153)と仰せです】
(御書の世界2巻P223~225一部抜粋)

某創価ディスブロガーさんの詭弁

自分の読解力が乏しいせいなのかわからないが、「全くこちらの質問に対する答えになっていない」というのが感想だ。



【僕は創価時代に病気になって、学会の御本尊に薬王菩薩よ、動け!僕の病気を治してって祈ったんですけど、学会の御本尊には薬王菩薩が書いてなかったんですね】


「学会の御本尊には薬王菩薩が書いてなかった」と述べるだけで、その後、祈ってどうなったかが書いていないということは、「願いが叶わなかったんだ」と読者に想像させ、「創価の御本尊には祈りを叶える力がないといいたいのか」と誤解を与える。自分たちが御安置している御本尊を軽視されたように感じ、創価学会員からみたら、「御本尊誹謗じゃないか」ということになるのは当然だろう。


何しろ、


「創価学会 唱題10に対して御利益3」
「日顕宗 唱題10に対して御利益100」


などと記事にしているのである。なおさら読者に誤解を与えても仕方がない。


「創価学会 唱題10に対して御利益3」
「日顕宗 唱題10に対して御利益100」


↑「創価に頭を下げて再入会」する気などサラサラないことがわかる。
要するに【初めから結論ありき】なのだ。こういう相手は、いくらこちらが真剣に論議しても、のらりくらりと詭弁を弄して、いつまでもたっても納得などしないのであろう。

要法寺から揶揄された大石寺

大石寺では人材不足で、京都要法寺から貫首(法主)をスカウトした時代があった。
第十五世日昌~第二十三世日啓の九代、約百年の間である。


その間、要法寺系の貫首・第十七世日精は【造仏読誦】釈迦仏像をつくり末寺に安置し、法華経一部二十八品を読誦するなどの謗法を犯した。日精の件は、貫首であっても謗法、間違いを犯してしまう可能性があることの事例である。


さて、約百年にわたって大石寺は京都要法寺出身の貫首が続いたわけだが、
大石寺は、その要法寺の僧からこう揶揄されている。


【京都要法寺は少しも他山の寺をもって相続していない。日蓮、日興、日目、日尊の師弟相伝の本家である】


【大石寺に貫首となる人がいないため、願いにまかせて要法寺より大石寺貫首に遣わした人数は、大石寺第十五代日昌上人~同第二十三代日啓上人の九代である】


【大石寺の相続人に要法寺より人を送って、大石寺の役に立つようなことをしてあげたことを忘れて、要法寺を大石寺より悪口するのは、恩を知らない畜生である】


なお日精によって大石寺末寺に安置されていた釈迦仏像は、第二十二世日俊、第二十三世日啓によって取り払われたが、大石寺の僧が要法寺の「造仏」を破折したところ、逆に日精が「造仏」していたことを逆に指摘され嘲笑されたようである。


         (富士宗学要集七第7巻 参考文献 河合一氏著 暗黒の富士宗門史)