極悪と戦えば極善となる

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善悪の判断を狂わせる「慈悲魔」

 情に厚く、慈悲深い心を、俗に「ほとけ心」とたたえる。
が、仏法では、その人情、慈悲心につけいる魔があることを教えている。


 その名を「慈悲魔」(じひま)
首楞厳経(しゅりょうごんきょう)に説かれるこの魔、衆生の心に一分の慈悲心があるのに乗じて、その心に取り入る。あわれみの情をいたずらに募らせ、是非善悪の判断を狂わせる。


 日蓮大聖人は、かの極楽寺良観など当時の小乗を弘める法師を


「慈悲魔と申す魔・身に入って」(全・P526)と喝破されている。


 慈悲等の行為を通じて、人々の慈悲心に訴え渇仰の心をおこさせる。


 一見、善に見えながら、小乗に執着させて、成仏の大法に背かせるがゆえに、
その本質は正法破壊の「極悪」。まさに「魔」の働きにほかならない。
広宣流布とは、仏と魔の間断なき戦いである。


 ここでは、慈悲や人情も、その為に正法を見失えば、敗北の因となる。
ゆえに正法正義への厳格な判断が肝要になる。


 正法破壊の魔とは、徹底して戦うー
この強靭な一念に護法の功徳も生まれてくる。


‘’魔を能く破る勇気‘’ー
ここにこそ、真の仏心があることを忘れまい。