極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

一切の原点は師弟にあり

戸田先生が亡くなってから60年たった今現在も、池田先生の心のど真ん中には戸田先生という「師匠」が厳然と存在している。


「戸田先生は、・・・と仰られた」と戸田先生の一言一言を生命に刻まれていて、戸田先生と若き日のご自分のエピソードなどをよく語ってくださっている。


「自分は一生涯、否、三世永遠に、この師と共に、広宣流布に生き抜くのだと覚悟を深めてきたのです」


師弟の距離は、「心」で決まる。
過去に最高幹部でありながら裏切っていった連中、また最近でも学会本部職員でありながら信心がおかしくなっていった連中は、身は先生のおそばにはいても心は遠く離れていたのだろう。


先生は、昨年90歳を前にしたご心境として、


「不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける」(大白5月号 世界を照らす太陽の仏法P37)


と決意を綴られた。



自分自身も常に心に師匠を抱き、一日一日、一瞬一瞬を大事に、どんな地味で小さな戦いであれ、丁寧にこなしていきたい。


私は先生亡き後が、本当の勝負であり、自分の信心が試されると思っている。
大聖人御入滅後、五老僧が「天台沙門」を名乗り謗法を重ねて裏切っていくなかで、
日興上人ただお1人、「日蓮聖人の弟子 日興」と生涯名乗られ、信念を貫きとおされた。



弟子の側の責任は重大だ。
弟子によって師匠の教えが正しく伝わるかどうかが決定づけられるからである。



よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず 
                      華果成就御書 P900