極悪と戦えば極善となる

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猫さんへ⑤

聖教新聞紙上の池田先生の恩師の二十三回忌に思うの書簡、僧俗和合していくために、当時はあのような表現をせざるをえなかったんだと思いますよ。


第一回関西青年平和文化祭終了後、日顕から本山に呼び出しがあったので
何事かと思って登山すると、


「(文化祭の挨拶で) 日顕上人猊下と言ったが、なぜ「御法主上人猊下」と言わなかったのか!?」


と居丈高に言ったそうですよ。素晴らしい演奏演技をした青年たちには,なんのねぎらいの言葉もなかったのだとか。


そういうことを言うために、わざわざ本山に呼び出す幼稚な日顕の相手をしながら、僧俗和合に全力をそそがなければいけなかったのだから、当時の先生は相当、精神的にきつかったはずです。


もともと学会が宗門からの独立をたくらんでいたことはなかったと思います。
1990年の12月の年末に宗門が文書で一方的に先生の総講頭罷免してきた翌年の1月に、話し合いをしようと学会首脳がわざわざ登山しているんですよ?もともと独立をたくらんでいたのなら、こんなことはしないでしょう。


宗門は、話し合いには一切応じなかったのだから、僧俗和合して進もうなんて気はサラサラなかったってことですよね。


折伏もせず、遊興にふける堕落した全国各地の坊主たちを、当時の学会員さんは何度も目撃しています。宗門は、小欲知足をうったえる、うるさい学会がうっとうしくなった。


「金はじゅうぶんたまったから、うるさい学会はもう切ってもいい」


それが本音だけど、表面上は「教義逸脱だの、三宝破壊だの」を学会を切る理由にしておかないとまずい。そんなところでしょうか。


(追記)


「戸田先生の御指導について」


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