信なき教学
大聖人の時代にも、小輔房、能登房、三位房など、門下が退転、反逆していった。
とりわけ三位房は、大聖人の弟子の中でも長老格で、法論も巧みであった。
ところが‘’自分が人より優れている‘’との慢心や、京都で公家に呼ばれて説法したことで得意げになるなど名聞名利の心が強く、大聖人から厳しく戒められることもあった。
一時は信心に励んでいた三位房だが、結局、門下に慕われていた日興上人に嫉妬心を燃やし、悪の誘惑に負け、大聖人や日興上人に反逆していった。
これらの輩の特色についても、大聖人は、「おくびょう(臆病)、物おぼえず、よく(欲)ふかく、うたがい多き者ども」(新1621・全1191)と厳しく破折されている。
(創価新報2022・2・16日付)
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