極悪と戦えば極善となる

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退転・反逆者 長井秀和

「間違いない!」のフレーズでエンタの神様でブレイクした長井秀和。
2012年に創価学会を脱会し、現在SNSなどで盛んに学会に対して誹謗中傷を重ねている。彼は、度重なる女性スキャンダルをおこし、芸能界にいられなくなる。現在は「すこやかな共生社会をつくる会」なる政治団体で、西東京市議会選挙への出馬予定、政界への進出を目論んでいる。



2007年5月 フィリピンで未成年者へのわいせつ疑惑、カナダ人タレントとの不倫疑惑それがもとで妻と離婚などの不祥事をおこす。誘惑の多い政界に進出して大丈夫なのか?



いずれにせよ、池田先生と仏意仏勅の団体である創価学会に弓をひき、反旗を翻した罪はあまりにも重い。


このまま誹謗中傷を続けていけば、彼の堕地獄は‘’‘’間違いない!‘’‘’


【法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む】(全P1389)


【過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にはほろびざるは候はず】(全P1190)



【彼らの本質は、臆病であり、保身です。名聞名利なんです。ところが、いかにも利口げに、自分が正しいように詭弁を弄する。しかも、正義の人に濡れ衣を着せたり、巧みに問題をすり替えたりして、大善の人を大悪人にしていく。そして、人を誑かし、退転させていくのが、反逆者の常套手段です】(池田先生ご指導より)


【人間には、誰にも、名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと,懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした生命は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき生命ガ噴き出し、心は邪心に染まっていく。ゆえに、大聖人は「月月・日日につより給えへ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書全P1190)と仰せなのである。信仰は、己心の魔と仏との戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう】


【「三沢抄」には、第六天の魔王が、法華経の行者を悩ませるために、自分の眷属に次のように命令したと仰せである。「かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて、あるひはいさめ或はをどしてみよ」(御書全p1488)つまり、弟子檀那の心のなかに入って、仏子を惑わし、広宣流布の前進をとどめさせよというのである。それは、人びとの意表を突き、不信をいだかせるのに、極めて効果のある、魔の現れ方といえよう】


【ゆえに、広宣流布が魔軍と仏の軍との戦いであり、魔は、幹部の不祥事、退転、反逆というかたちとなって、永遠に現れ続けるにちがいない。だが、何も恐れるには足らない。魔は魔と見破った時に、打ち破ることができるからである。要は、現象に惑わされるのではなく、‘’‘’信心の眼‘’‘’を開き、御書に立ち返ることだ。一見、複雑そうに見える問題も、‘’‘’信心の眼‘’‘’で見るならば、すべては明瞭である】
                    (新・人間革命8巻 清流より)