極悪と戦えば極善となる

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天台本覚思想を破折された大聖人

本覚思想とは、「衆生は本来、仏なのだから、修行などせずともいい、欲望、現実をそのまま肯定する」というもの。


大聖人御在世の天台宗の連中は、法華経の「開会」の法門を曲解、
‘’念仏も真言も禅もすべて法華経であり、そう信じるのが修行である‘’
と主張した。


そのような本覚思想を大聖人は厳しく破折された。


【当世・天台宗の開会の法門を申すも此の経文を悪しく意得て邪義を云いだし候ぞ】
                          (全P1139)


どんな現実も肯定ばかりしていては、悪事をなし、人を苦しめている者に対しても「悪人にも仏の生命があるのだから」と野放しにしてしまう危険がある。


天台本覚思想=正邪の分別を嫌い、どんな現実も肯定し追従する
念仏思想=現実逃避
禅思想=自分と社会を分断し、自分の殻にこもる


【本末究竟と申すは本とは悪のね善の根・末と申すは悪のをわり善の終わりぞかし、善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり】(全P1466)


『現実のこの世の「善」と「悪」を見極め、人々を救うのが諸法実相の智慧の実践です』


『‘’この世に埋没する‘’‘現実追従。‘’この世に目をつむる‘’現実拒否。
‘’あの世に逃げる‘’現実逃避ー。法華経は、このいずれでもない。大聖人は、旧来の天台宗を、また禅宗・念仏宗を強く批判された。それらはすべて「諸法の実相」に背いているのです』


『法華経の諸法実相は、「現実を変革する」哲学です。運命論には従わない。あきらめにも同調しない。それらの無力感をはね返す‘’バネ‘’を開発する。「だからこそ変えていくのだ」と闘志を奮い立たせる。そして「自分は今、何をなすべきか」と問い続ける責任感を呼びおこすのです』     (法華経の智慧 ー諸法実相の心ーより)