極悪と戦えば極善となる

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日寛上人の造仏読誦への破折Ⅰ

大石寺では人材不足で約100年間、要法寺系の貫首が続いた時代があった。17世貫首の日精は要法寺系の教学を取り入れ、法華経の一部読誦(法華経全文の読誦)を主張、末寺に釈迦仏像を安置した。26世日寛上人は要法寺系の邪義を一掃するため、要法寺19世日辰が唱えた『法華経一部二十八品の読誦』と『釈迦像を本尊とする』という説を破折された。


<一部読誦への破折>


①【正業の題目を妨ぐる故に】(法華経全てを読誦するのは膨大な時間がかかり、末法の正
              しい修行である唱題行の妨げとなる)


大聖人が『専ら題目を持って余文を雑えず、なお一経の読誦だも許さず。いかにいわん                    
や五度をや』(四信五品抄 全・P341)と法華経全部の読誦を許されていないのだから、日辰が唱えた『法華経の一部読誦』は宗祖に違背している。



②【末法は折伏の時なるが故に】(一部読誦は摂受の行であるから折伏を行う末法の時にそ
                ぐわない)


日寛上人は、経典を読誦せず、ひたすら礼拝行を行った不軽菩薩の例をあげ、杖木瓦石の迫害を受けたことは折伏を行った姿であるとされた。また、「五人所破抄」の、『今末法の世を迎えて折伏の相を論ずれば、一部読誦を専らとせず、ただ五字の題目を唱え、三類の強敵を受くといえども諸師の邪義を責むべきものか』との文を引かれ、五老僧が如法経・一日経の行を行ったことを正法・像法時代の修行・摂受の法であると日興上人が破折されたように、法華経の一部読誦も書写行と同じように破折をしないということは摂受に通じるとされた。



③【多く此の経を謂われをしらざるが故に】(法華経の文上・文底などの意味を知らず法華
                    経を表面的に読誦しても末法の正しい修行
                    にはならない)    
         
           (六巻抄P152 「末法相応抄上巻」)
                  参考文献 須田晴夫氏著 『日興門流と創価学会』