極悪と戦えば極善となる

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何故方便品・寿量品は読誦するのか

「末法相応抄」上巻で法華経の一部読誦(全編読誦)を退けたことを受けて、「六巻抄」の第五巻である「当流行事抄」では末法の修行が法華経方便品・寿量品読誦と唱題行であることを示し、方便・寿量の読誦が助行・唱題が正行にあたることを明らかにする。
             (須田晴夫氏著 日興門流と創価学会より一部抜粋)


日寛上人は、方便品を読誦するのは「所破・借文」のためであり、寿量品を読誦するのは「所破・所用」のためであるとされた。


(方便品読誦)
所破=迹仏が悟った法理であると打ち破るため
借文=その文を借りて久遠元初の自受用身如来が悟った法を顕すため


(寿量品読誦)
所破=文上にあらわれている脱益の一念三千を打ち破るため
所用=その文によって文底下種の一念三千をあらわすため


正行(唱題行)と助行(方便品・寿量品読誦)との関係について、日寛上人は、「方便品・寿量品を読誦するのは、正行である題目の功徳を助けあらわす働きがあり、そのために助行というのである」と仰られている。