極悪と戦えば極善となる

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謗法を責めぬこうとせぬ宗門の惰弱

戦時中「神本仏迹論」の邪義を唱え、軍部と結託し、日蓮正宗内を混乱におとしいれた悪僧・小笠原慈聞。彼の暗躍は牧口先生の獄死の因となった。


日蓮宗身延派との合同を画策、「水魚会」の一員となるも、牧口先生は合同反対の意思を表明、日蓮正宗は単独認可された。小笠原は合同の失敗を「宗門の恥辱」とし、1941年6月、軍人、国会議員、日蓮宗僧侶を集めた「日宗顕正団」の設立に関与した。時の管長・鈴木日恭らの不敬罪を告訴したため、1942年9月14日付で宗門は小笠原慈聞を擯斥処分にする。


しかし日蓮正宗は、この小笠原を1946年3月に僧籍復帰させる。しかし創価学会に対しては「かかる僧侶は絶対におりません」と出家ぐるみで小笠原の僧籍復帰を隠蔽したいた。


1952年、4月27日「立宗700年祭」で大石寺にいた小笠原を学会青年部が発見、「神本仏迹論」を破折し、牧口先生の墓前で謝らせた。


【神本仏迹論なんていう坊主は化物(ばけもの)坊主である】
(S26年5月10付 戸田先生寸鉄)


【化物坊主と寸鉄居士の大喝でおこった坊主があるげな。寸鉄居士その坊主を呼んで曰く「第六天坊主」と】(同7月1日付)



しかし宗門は大聖人の仰せ通りに謗法を責めた学会に対して「宗内を騒がせた」として、この「狸祭り事件」をろくに調べもせず、戸田先生に「謝罪文の提出」「大講頭罷免」「登山停止」の不当処分を下す。


邪義を唱えた者を僧侶ということで庇い、謗法を責めた学会を処分した宗門。日蓮正宗と創価学会のどちらが大聖人の真の弟子なのかは一目瞭然。


【宗会の決議では我等の会長が登山止めだそうな、物騒な世の中になったものだ】


【忠義を尽くして謗法を責めてご褒美あるかと思ったに、おほめはなくて、「登山まかりならん」とおしかりさ。弟子共一同「俺達も一緒に登らんわい、フン」だってさ】


【何が「フン」だい。決ってるじゃないか、日本全国の信者の声だってさ、嘘もよい加減にしろ、折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばること許かりを知っとる坊主の学会に対するやきもちだからさ】


【寸鉄居士会長先生に御伺いをたてたら「あんまり騒ぐなよ、こんな目出度いことを」とニヤリさ】


【寸鉄居士ニヤリとして曰く宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三類かニヤリ】        (S27年7月10日付 戸田先生寸鉄)


寸鉄居士・・・戸田先生のこと