極悪と戦えば極善となる

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信心がある人には必ず魔が競い起こる

「また、大聖人は御書の随所で、『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』(全・P1087)との、天台大師の言葉を引かれ、本気になって信心していれば、それを妨げようとする障魔が競い起こると断言されているんです」


仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を定めることこそ、信心の第一歩である。


「経文に、御書に照らして、魔も、難も起こらない正法なんてありません。難を避けるうまい方法はないかなどと考えてはだめです。覚悟を決めることですよ。実は、魔にも、難にも、大きな意味があるんです。大聖人が『魔競はずは正法と知るべらず』(同)と言われているように、魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができるんです。


また、正法を流布して法難に遭うことによって、過去世からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです。もちろん、配慮を欠く非常識な言動で、無用な摩擦を生むようなことは、厳に慎まなければなりません。しかし、どんなに慎重に、誠心誠意、対応しても、正法を弘めるならば、必ず難は起こります。その理由は、この世界は第六天の魔王の所領であり、そこに妙法受持の人が現れ、浄土に変えようというのだから、難が競い起こるのは当然なんです」
                   (新・人間革命27巻 正義の章より一部抜粋)