極悪と戦えば極善となる

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魔との壮絶な闘争

【第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし】
                        (辦殿尼御前御書 全・P1224)



「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖人が共に住むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心を抱いたことはないーそれが、御文の意味です。


なぜ、第六天の魔王が戦をしかけてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする、それが広宣流布です。


そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶な闘争になるんです。


この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。ゆえに、成仏というのは、本質的に外敵との戦いではなく、わが生命に潜む魔性との熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです」


第六天の魔王は、智慧の命を奪うところから「奪命」といわれる。また、「他化自在天」ともいって、人を支配し、意のままに操ることを喜びとする生命である。その結果、人びとの生命は委縮し、閉ざされ、一人ひとりが持っている可能性の芽は摘み取られていくことになる。戦争、核開発、独裁政治、あるいは、いじめにいたるまで、その背後にあるのは、他者を自在に支配しようという「他化自在天」の生命であるといっとよい。


                (新・人間革命27巻 波濤の章より一部抜粋)