極悪と戦えば極善となる

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真言宗の忘恩傲慢の生命に負けた山崎正友

山崎正友の出身地・岡山県は「真言王国」といわれるほど、真言宗の家系が多い。
真言宗の害毒と言えば、一家の柱が早逝、男子が病弱だったりの他、生命の傾向性としては、人を見下したり、嘲笑ったりする生命が強く、傲慢、虚言、詭弁、下剋上気質。


【一切の真言師は大日如来をたのみて、「教主釈尊は無明に迷える仏、我らが履とりにもお及ばず」結句は灌頂して釈迦仏の頭をふむ】(破良観等御書 新・P1256)


(一切の真言師は大日如来を頼りにして、釈尊は無明に迷える仏であり、我々(真言師)の履き物とりにも及ばないと言い、挙句の果てには、灌頂<かんじょう>(真言密教の儀式)といって、釈尊の頭を踏みつける)



【一切の真言師は、灌頂となづけて釈迦仏を直ちにかきてしきまんだらとなづけて弟子の足にふませ、あるいは「法華経の仏は無明に迷える仏、人の中のえぞのごとし。真言師が履とりにも及ばす」なんど、ふみにつくれり。今の真言師は、この文を本疏となづけて日々夜々に談義して、公家・武家の祈りとごうしておおくの所領を知行し、檀那をたぼらかす】
                        (同 P1260)


(一切の真言師は、灌頂(かんじょう)と名づけて、自分の手で直に釈尊を書いて、<敷曼荼羅>と名前をつけて、その曼荼羅を弟子の足に踏ませ、あるいは「法華経の仏は無明に迷える仏、人の中の奴隷のようなものである。真言師の履き物取りにも及ばない」などという文章をつくった。今の真言師は、この文を「本疏ほんじょ」と名づけて、日々夜々に談義し、公家・武家の祈りのためと、もっともらしいことを言って多くの領地を支給され、信者を誑かしている)



この真言の害毒に負けてしまった山崎は、師匠である池田先生をも下に見るようになった。
山崎は、信心の基本である勤行・唱題を真剣にしなかったのだという。信心していても、基本中の基本を怠ると、すぐに魔性の生命に負けてしまうといういい例がここにある。


私たちも常に自分自身をみつめ、「最近、惰性になっているな」と思ったら、初心にもどって、「御本尊」という原点にかえり、軌道修正していきたい。