極悪と戦えば極善となる

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世間知らずな坊さんたち

山崎正友元学会の顧問弁護士。岡山県岡山市出身。
京都大学法学部に在学中、正友は病気に悩まされていたところ折伏を受けた。山崎家は真言宗の家系で、真言の家系は、一家の柱である男性が早逝したり、病弱だったりする宿業があり、山崎家も例外ではなかった。


正友は、折伏を受けたもののなかなか入信しようとせず、皆から「あいつは病気で長くないだろう」と思われていた。が、ついに昭和34年に入会する。信仰によって徐々に健康を回復していった。


その後、大学にも復学し、合格率3・5パーセントという、難関中の難関といわれている司法試験を一回で合格を決めた。弁護士になって間もないころ、こんな手記を残している。


【七年前、五年前のみじめな姿を思い起こす時、感無量であり、御本尊様と我が身の福運をしみじみと感じる】


こんな手記を残していたこともある彼が、何故、変節しあそこまで軌道を踏み外してしまったのか。彼の宿業、もともと傲慢・忘恩の生命が強い、育った環境などもあるのかもしれないが、弁護士として宗門の担当をしているうちに、女に金と、俗よりも俗な遊び好きの坊さん連中に感化されたことも一つの要因ではないかと考える(私見)それら悪知識に縁するうちに、真面目に学会の顧問弁護士をするのがあほらしくなったのかもしれない。


「宗門は無知じゃ。何もわからん」
「坊主は悪い奴らだ。坊主の手をひねるのは、赤子の手をひねるようもみやしい(簡単だ)」


山崎は、弁護士として世間しらずの宗門の坊さんの面倒をみるのがバカバカしくなっていた。正本堂の建っている土地が違法に取得したものとし、細井日達管長と池田会長(当時)が刑事告訴された件では、ほとほとうんざりしたようだ。


「難百億も御供養したあげく、罪人にされたんじゃかなわねえ。あれだけの土地を処理したのが、村の司法書士だとよ。弁護士もいないんだ。あんなもん連れて世界広布なんてできやしないよ。村なんだよ、村の寺なんだよ。かっこつけたってどうしようもねえ。いくら学会が頑張ったところで山がドジ踏んで、こっちが罪人とされるんだ。坊さんの意識が低すぎるんだよ」


今の世間知らず常識はずれの日顕宗をみるに、「あんなもんつれて世界広布なんてできやしないよ」という、この時の山崎の言葉は正しい。


山崎は、大石寺の坊さん連中をバカにするようになり、それを外護する学会までもバカにするようになった。