転重軽受法門
さあ、罰という問題ですがね。これは仏様が罰をあたえるというふうにとるのは大間違い。ね、罰というのは、自分の持っている運命が出るということです。罰をあたえるとかなんかいうことをよくいうておりますが、そんなもんじゃないんです。罰というのは宿業のことだ。自分の身に持っているものが出るんです。
罰とも宿業ともいうんです。そんなものは、人にあてられてたまるものかい。なんぼ仏様だって罰なんてあたえるわけがないよ。そりゃ、出るだけのことです。御本尊を持っていると軽く出るんです。山を登ったものは必ず降りねばならぬと大聖人はおっしゃっています。過去世に持ってきた宿業は必ず出さねばならんとおっしゃっている。ですから、罰というものはわが身にあるものが出るんです。それは軽く出るのがこの仏法なんです。
ですから、おそらくあなたが受けた運命というものは、今は、苦しいかもしれませんが、私は軽いもんだと思うております。もしそれが、この御本尊を受けなかったら、重く出るんじゃなかったかと私は思うんです。(中略)そこだ。これを転重軽受法門という。そういう法門の理がありまして、それでも今のご質問の方は、軽く受けているんじゃないかと私は思うのです。
軽く受けさせてやったのにね、まだ文句言ってる(笑)
それは、罪というものはそれで消えてるはずなんです。
軽く受けているんですよ。私はそう断ずるがね(拍手)
ですからそれは、変毒為薬と申しましてね、毒を変じて薬とする、そのことがあなたの信心と、あなたの誠意によって、必ず軽く、またそしてそのことが、あなたの一生の生活に徳になってくるはずです。変わってこなけりゃならん。今はあなたは苦しむでしょう。嘆くでしょう。辛いでしょう。そのことが幸せに変わってこなけりゃ本当の信心じゃありませんぞ。悩み苦しんで、そのことが幸せに変わってこなきゃいけない。それが御本尊様の功徳です。
(1957年 戸田先生の御指導より一部抜粋)
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