御書発刊より寺の鐘をつくることに力を注いだ宗門
本来、日蓮正宗を自認する宗門こそ、聖典たる御書の発刊に尽力すべきであろう。
しかし、立宗700年に向け、宗門が力を注いだのは、なんと「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造だった。
戦時中、軍部に協力し、兵器資材として梵鐘を供出したため、戦後、再び造ろうとしたのである。宗門は、正法正義を守り抜く精神を失っていた。
聖教新聞の「寸鉄」で、戸田先生は宗門の姿勢を痛烈に戒めた。
【御山(おやま)でゴシュ(御酒)は作っても、ゴショ(御書)を作れぬ坊主が居るってね】
(2022・1月28日 聖教新聞三面より一部抜粋)
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