慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり
「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」
「さらば日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい。
そして魔が起(おこ)らないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか」
-牧口常三郎
御聖訓に照らして、三障四魔が競い起こらぬということは、広宣流布の戦いを放棄しているからである。
大聖人御在世当時の天台宗は、腐敗、堕落の様相を呈していた。
日本天台宗の開祖である伝教大師は、法華経を根本とし、比叡山に大乗戒壇の建立に努めた。にもかかわらず、その法を正しく継承する弟子たちが、真言などの誤った教えを取り入れ、伝教の本来の教えも、精神も失われていたのである。
弟子の戸田城聖もまた、宗門の「悪」とは戦い続けてきた。戸田は言う。
「折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ」
「尊敬される資格もないくせに大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたがて居る坊主は狐坊主だ」
「お布施ばかりほしがる坊主は乞食坊主だ」
戸田城聖は、悪侶には、このうえなく厳しかった。
彼は、堕落しきった僧侶の姿を目にすると、決して容赦はしなかった。激しく怒鳴りつけることもあった。
だから、戸田が総本山に行くと、やましさのある僧侶は、すごすごと逃げ出していった。
ところが、戸田が帰ってしまうと、酒を酌み交わし、彼を口汚く罵る僧侶たちもいたのである。
「信徒の分際でつべこべ抜かしやがって・・・・」
戸田が宗門の悪しき風潮や悪侶と戦ってきたのは、宗門を守り抜こうとの思いからであった。彼は、戦後の農地改革で多くの土地を失い、衰微しきった総本山の復興に最大の力を注いできた。そして、宗門の経済的な基盤の確立に尽力し、五重塔の修復をはじめ、奉安殿や大講堂など、相次ぎ伽藍を建立寄進した。さらに、各地の寺院の建立にも努めてきたのである。
それゆえに彼は、保身のために謗法さえも平気で犯す、悪侶という「一凶」を断たんと、厳しく糾弾したのだ。まさに「慈(じ)無(な)くして詐(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨(あだ)なり彼が為に悪を除(のぞ)くは即ち是れ彼が親なり」(全・P139)との仰せ通りの行動であった。
(新・人間革命8巻 宝剣の章より一部抜粋)
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