極悪と戦えば極善となる

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牧口先生 戸田先生の獄中での戦いー上



昭和18年、七月六日の朝、地方折伏のために伊豆の下田にいた牧口先生は特高刑事2名に下田署に連れていかれ取り調べを受け、治安維持法違反ならびに不敬罪で逮捕された。同日、戸田先生も逮捕され、その他の幹部20名も次々に逮捕された。


宗門は牧口先生の逮捕後、日蓮正宗宗門は坊主2名を牧口先生宅を訪問させて、軍部に謝罪するよう、退転への誘いをもちかけたが家族はそれを拒否したため、権力の弾圧を恐れ創価教育学会の会員に対して「登山停止処分」にする。


後に牧口先生は巣鴨拘置所に移され、刑事や検事の過酷な取り調べを受けた。
その間、牧口先生は看守を折伏する。


独房には暖房器具もなく、劣悪な衛生環境で食事もろくに与えられなかった。
時には殴られたり、蹴られたりもした。


『一個人から見れば、災難ではありますが、国家から見れば、必ず「毒薬変じて薬となる」という経文通りと信じて、信仰一心にしています。二人、心をあわせて朝夕のお経を怠らず、留守を頼みます』(妻クマさん、洋三さんの妻・義娘貞子さんにあてた書簡)


昭和19年出征していた三男の洋三さんの戦死の知らせは、老齢で過酷な獄中生活をおくっている牧口先生に精神的にも大きな打撃を与える。そして家族に最後の手紙を出された。


「びっくりしたよ。がっかりもしたよ。御前たち二人はどんなにかと案じたが,、ともに立派な覚悟で安堵している。貞子よ、御前がしっかりしてくれているので、誠にたのもしいよ。実の子よりは可愛いことが、しみじみ感じられる。(略)・・・(価値論を)法華経の信仰に結び付け、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。これ故、三障四魔が
紛起するのは当然で、経文通りです」(牧口常三郎全集第十巻)



昭和19年1月17日、すでに牧口先生は歩行困難になっていたが、自力で病室まで歩いていった。早朝、18日牧口先生は貞子さんが見守る中、安らかに息を引き取った。
享年73歳




【聖教新聞】世界の安穏への祈りを込めて 初代会長・牧口先生の生誕日 6月6日の満月