極悪と戦えば極善となる

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牢獄で200遍唱題ー戸田先生の人間革命

ある時、伸一は戸田に言った。


「先生は、これほどの苦難に遭われながら、いつも堂々としていらっしゃいます。ほかの人ならば、おそらく自殺をしているにちがいありません。先生のお心の強さに、私は、感服いたします」


「もし、ぼくが、人より多少は強い精神の持ち主のように見えるとしたら、それは、戦争中に牢獄の中で、自分の使命を知ったからだね。使命を知るとは、自分の生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。そうなれば人間は強いぞ。恐れも不安もなくなる。ぼくにも、以前から、牧口先生とともに、仏法の正義を守るために戦おうという決意はあった。それでも、いざ逮捕され、牢獄に入れられてしまうと、不安でいっぱいだった。妻や子のことを思い泣きもした。自分の事業のことを考え、苦しみもした。ぼくは、滑稽なほど、弱い人間ではなかったかと思う。しかし、高齢の身である牧口先生が牢獄のなかで戦っておられることを考えると、そんな自分が不甲斐なかった。ぼくは、強くならねばならぬと思い、それで、真剣に唱題を始めたのだよ」


今日もまた なすなく生きて 日ごよみを
                独房の窓に 涙して消す


帰りたさに 泣きわめきつつ 御仏に
              だだをこねつつ 年をおくりぬ


つかれ果て 生きる力も 失いて
              独房の窓に 母を呼びにき


獄中で冬を迎え、毎日、氷を割って身を洗う辛さは、体験した者でなければわかるまい。
そのなかで、「もうすぐ帰るぞ、辛抱せい。今予審が始まっているぞ。帰れるぞ」と、心で妻に叫んだとの記述もある。しかし、唱題を重ねるうちに、戸田の歌に大きな変化が表れる。歌には、力が、勇気が、希望がみなぎり始める。


永劫の 命に染みし 我が罪垢 
           清むる今の つらく嬉しき


この歌には、苦しみはあっても、既に嘆きはない。地獄のような独房の生活であるにもかかわらず、むしろ、命の底から込み上げる喜びと安穏がある。やがて、次の歌となっていく。


安らかな 強き力の 我が命
          友と国とに 捧げてぞ見ん


この歌に至るまでに、戸田の獄中での唱題は、二百万遍に達していた。そして、彼は法華経の真意を悟り、地涌の菩薩として自分がこの世で果たすべき使命を知ったのであった。広宣流布、すなわち、人びとの幸福を実現するという、久遠からの尊き使命の自覚は、自己の苦悩という、小さな生命の扉を突き破り、大宇宙の生命の大空へと、自らの境涯を飛翔させていったのである。そこには、戸田城聖の、偉大なる人間革命の輝ける軌跡を見ることができる。


彼は、もはや、何ものをも恐れなかった。確固不動なる永遠の自己を、高鳴る生命の歓喜の律動を感じた。獄舎にあって、法悦に身を震わせながら、彼は誓う。


「これでおれの一生は決まった。今日の日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ!」


それは、同時に、戸田城聖という一人の人間が、万人に人間革命の道を開いた瞬間でもあった。
            (新・人間革命五巻 歓喜の章より一部抜粋)

『ベートーベン:交響曲第9番~歓喜の歌』(Beethoven. Symphony No 9-4 Piano short ver.)(ピアノ楽譜)