極悪と戦えば極善となる

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なせ坊主が堕落していったのかⅡ

戦時中、軍部政府が、思想統制のために、日蓮宗各派の各派の合同を打ち出した時にも、正宗僧侶の中には、これに従おうとする僧侶もいた。


そのなかで、牧口常三郎は、宗祖大聖人、日興上人の正法正義を守り抜くために、日蓮正宗は単独で認可を取るべきであると主張した。そして、牧口の奔走の結果、一九四一年(昭和一六年)三月、日蓮正宗は、宗制単独認可にこぎつけたのである。


また、牧口、戸田が逮捕される二年前(一九四一年)の九月、宗門は「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり・・」など、御書の重要な御文十四箇所を削除するように指示している。国家神道を精神の支柱にした軍部政府から、不敬罪に問われることを恐れたのである。


大聖人の大宣言ともいうべき字句を削り取るこの行為は、かつて五老僧が、大聖人の御書は仮名文字で書かれているので「先師の恥辱」であるとしてスキカエシにし、あるいは、焼き捨てたことに通じよう。


そして、遂には、総本山に神札を祭り、学会にも神札を受けるように指示するに至るのである。しかも、学会が、断固、それを拒否し、牧口、戸田が逮捕、投獄されると、宗門は関わりを恐れて、信徒から除名し、学会の登山を禁止したのだ。


彼らは「血脈相承」や「法水写瓶」を自称しながら、大聖人の御精神のままに戦いぬいた学会を切り捨てたのである。この驚愕すべき事実こそ、宗門の本質を、端的に物語っているといえよう。(新・人間革命8巻 宝剣の章より)