極悪と戦えば極善となる

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禅天魔

ある禅僧が、昔、戦争に行って兵隊になった時、他の者は「人を殺してしまった」と夜中にうなされることもあったそうだが、その禅僧は、全く気にせず熟睡していたという話を聞いたことがある。


「善をも思わず悪をも思わず」という禅の格言通り、禅の修行を続けていると、心が内に向きすぎて、目の前でどんな悲惨なことがおきても平気、世間のことにも関心をはらわなくなってしまう。


瞑想・マインドフルネスなどがかつて話題となったが、「流行っているから」といって安易に行い、禅病・魔境に陥り、怖い思いをした人もいるようだ。


禅病・・・修禅者が修行する時におこりえる心身の病。


魔境・・・禅の修行者が中途半端に覚醒したさいに陥りやすい状態で、意識の拡張により、
     自我が肥大し精神的バランスをくずした状態のこと(神・天使や悪魔をみた、
     声がきこえたなどの幻覚、幻聴、妄想など)


自分の心を正しくみようとするなら、確かなコンパスがないと危険なのである。


それにして宗祖が「禅天魔」と破折されているのに、禅寺に550円もかけて先祖代々の墓をたてた日顕。自らが「天魔の眷属です」と白状しているようなものである。


禅宗では「教外別伝・不立文字」(釈尊の教えの真髄は経典とは別のところにあるから、文字を立てない、文字にとらわれない)等と説く。


日蓮大聖人は、禅宗を以下のように破折されている。


【仏教には、経論にはなれたるを外道と云う。涅槃経に云く「もし仏の所説に順わざる者有らば、当にしるべし、この人はこれ魔の眷属なり」云々】(御書新・P761)


(仏教には、経典を離れるのを外道という。涅槃経にはこう説いている「もし仏の説いたことに従わない者があるならば、まさに、この人は魔の眷属である」と)


【教外と号し、あまつさえ教外を学び、文筆を嗜みながら文字を立てず。言と心と相応せず。あに、天魔の部類、外道の弟子にあらずや。仏は文字に依って衆生を度し給うなり】
(御書新・P762)


 (経典の外に釈尊の悟りがあるといって、経典を学び、文字を書きながら文字を立てない。言葉と心があわない。これは、天魔の部類であり、外道の弟子である。仏は文字によって衆生を成仏へと導いていくのである)