極悪と戦えば極善となる

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身延派と一緒に太鼓をたたいて唱題していた日蓮正宗

大正十年当時の日蓮正宗僧俗は、教義を異にする宗派である「本門宗」「本門法華宗」「顕本宗」などの人々と一緒に太鼓を打ち、共に唱題しながら提灯行列をしていのだ。日蓮正宗は総勢五百名であるから、他のほぼ四千五百名が他宗派であった。


さて、ここまで『大日蓮』に載った大正十年の日蓮大聖人御生誕七百年の模様を紹介したのは、ほかでもない、当時の日蓮正宗の布教方法、組織実態を知ってもらいたかったからである。


当時では珍しいカーチス式飛行機をチャーターし、機内に御本尊様を奉掲してビラをまき、演説会を開く。自動車をつらねて御本尊様を奉掲し、太鼓を叩いて唱題しながらビラをまく。


他宗と連合して提灯行列をする。そのときも人夫に太鼓を担がせ、唱題しながら行列行進している。


これが大正十年当時の日蓮正宗の実態であった。
創価学会の牧口常三郎初代会長、戸田城聖二代会長が入信したのは、七年後の昭和三年六月頃のことである。


日蓮正宗においては、創価学会が座談会中心の布教方法を確立するまでは、人を集めての講演会や宣伝といった布教方法が広宣流布にとって有効であると考えられていたのだ。


                       (地涌238号より一部抜粋)