極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

東村山デマ事件Ⅰ

1995年9月1日午後10時ごろ、東京・東村山市に住む朝木明代が、マンションの5階と6階の踊り場から転落。翌2日午前1時に死亡した。朝木は、同年4月の統一地方選挙で3選を果たした現役市議。当時、同選挙で当選した直子の※「議席譲渡問題」によって、物議を醸していた「草の根市民クラブ」のメンバーだった。


司法解剖の結果、直接の死因は「出血性ショック死」東村山警察署は当初、自殺と他殺の両面から捜査を始めたが、警察犬を導入して入念な現場検証と捜査を続けた結果、他殺であるとの確証は得られなかった。むしろ警察は、転落した朝木が発見者の呼びかけに対して「大丈夫です」と返答し、救急車の手配の申し出を「いいです」と断っている点、現場付近で争うような声や物音を聞いた者がなく、衣服や身体に人と争った跡や外傷がない点、階段踊り場の防護壁の上面に指が擦れた後が発見された点などを根拠に、他人が介在した状況はないと判断し、「事件性は薄い」と発表。新聞各紙の第一報も、犯罪性がないことを客観的な事実とともに報じている。


ところが、こともあろうに、朝木が学会中傷を繰り返していた議員だったことに目をつけ、この自殺を創価学会が関与する‘’他殺‘’だったかのような報道が週刊誌を中心に過熱した。


※議席譲渡問題・・1995年4月23日に行われた統一地方選。現職の朝木明代が所属する「草の根市民クラブ」から、新人の娘・直子と矢野穂積が東京・東村山市議選で初出馬した。直子は4位で当選するも、矢野は次点で落選する。矢野は、ミニコミ紙「東村山市民新聞」の編集長を務め、朝木の活動を後方支援してきた人物。直子は当選3日後、「公約実現には私より適任」とし、次点の矢野に議席を譲る目的で千葉県松戸市に転居届を提出。記者会見まで行い、当選資格を‘’返上‘’したのだ。市選挙会の審議の上、矢野は繰り上げ当選。この直子の行為が‘’議席譲渡‘’として地元市民から批判を浴び、新聞の全国版でも取り上げられるほど物議を醸した。この件について、東村山市民の有志らは「余りにも意図的な議席譲渡は選挙民を欺く議席の私物化であり、到底、認められぬ」との趣旨で、矢野の繰り上げ当選を認めた都選挙管理委員会の裁決の取り消しを求めて訴訟。結果的に、最高裁判所は、議席を「無効」(97年8月25日)と判断し、矢野はわずか2年余りで議員バッジを失った


                    (2023・1・18日付創価新報6面より)