極悪と戦えば極善となる

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第六天の魔王の手下との協議

【生死をいで仏にならんとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲があるがごとく、三障四魔申して七つの大事出現す。たといからくして六つはすぐれども、第七にやぶられぬれば、仏になることかたし】


(生死をこえ、仏になろうとするときには、必ず影が身にうように、雨に雲があるよるように、三障四魔といって七つの大事がおこる。かろうじて、六つの難に勝っても、第七の大難に破れてしまうなら、仏になることは難しい)


【その六つはしばらくおく。第七の大難は天子魔と申すものなり。たとい末代の凡夫、一代聖教の御心をさとり、摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて、仏になるべきに候いぬれば、第六天の魔王、このことを見て驚いて云く「あらあさましや。この者、この国に跡をを止むるならば、かれが我が身の生死をいずるかはさておきぬ。また人を導くべし。またこの国土をおさえとりて、穢土を浄土となす。いかんがせん。」】


(前の六つはおいておこう。第七の大難は天子魔というものである。末代の凡夫が一代聖教の御心を悟り、摩訶止観という大事の御文の心を心得、仏になろうとするときに、第六天の魔王は、このことに驚いていう。「この者がこの国に跡を留めれば、この者が仏になるばかりか、多くの人を成仏に導いてしまう。また、この汚れた国土を浄土にしていまうぞ。どうしてくれよう」)


【とて、欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよおし、仰せ下して云わく「各々ののうのうに随って、かの行者をなやましてみよ。それにすなわずば、かれが弟子檀那ならびに国土の人の心の内に入り替わりて、あるいはいさめ、あるいはおどしてみよ。それにかなわずば、我みずからうちくだりて、国主の心身に入り替わりておどしてみんに、いかでかとどめざるべき」とせんぎし候なり】


(といって、第六天の魔王は、欲・色・無色の三界の一切の眷属に命令し、「各々の能力にしたがって、法華経の行者を悩ましてみよ。それが出来なかったら、やつの弟子や檀那や国土の人の心に取りついて、諫めたり、脅してみよ。それが出来なかったら、我が自ら国主の心身に取りついて、とどめさせてくれようぞ」と詮議している)
                          (三沢抄 新・P2011~)