極悪と戦えば極善となる

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評論家は学会にはいらない

「もし、学会に批判があるなら、ただ文句を言っているのではなく、君が自分で理想的な学会をつくっていくことだ。私もそうしてきた」


「自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流布の建設もない。同じ一生ならば傍観者として生きるのではなく、広宣流布のために、学会と運命を共にしようと心を定め、力の限り戦い抜くことだ。そうでなければ、後で後悔することになる」


そう言って伸一は、青年の手を何度も何度も握り締めるのであった。
また、仲間同士で集まって酒を飲んでは、先輩幹部の批判ばかりしている、二、三人の(聖教の)記者がいた。彼らは大物ぶっていたが、付和雷同的な傾向があり、自分を見つめる姿勢にかけていた。


ゲーテは断言する。


【君が誰と付き合っているか言いたまえ。そうすれば、きみがどのような人間であるかを言ってあげよう】


大事な職員である。伸一は、彼らが大成するために、誤りに気づいて欲しかった。


職員の会合の折、伸一は彼らを次々と指名し、『みんなが感銘するような指導をしなさい』と言った。彼らは、しどろもどろになり、何の実のある話はできなかった。伸一は厳しい口調で言った。


「批判は簡単だ。では自分は何が出来るのだ。真剣に自分を磨くことを忘れてはいけない。不平不満は、自分を惨めにするだけだよ」


伸一が真心を尽くして指導・激励を重ねても、学会を見下し、広宣流布を忘れ、批判を繰り返す者もいた。しかし、彼らは誰からも相手にされなくなり、皆、自分から職員を辞めていった。清らかな信仰の世界では、悪心の者は、その醜悪なる正体が明らかになり、出ていかざるを得ないのである。
            (新・人間革命18巻・師子吼の章より一部抜粋)


もちろん、納得いかないことがあれば、勇気を出して自分の意見を言っていくことは大事だ。しかし意見と批判とは違う。


池田先生もお若いころ、創価学会が大嫌いな時期があった。
先輩幹部は、居丈高で、高圧的で、そのくせ何の責任も負うことをしなかった。
その姿にいつも失望していた。当時の学会は折伏一本やりで、文化がないことも不満だった。


そのことを見抜いた戸田先生はあえて厳しく池田先生を指導する。
ある日、戸田先生は池田先生に、「おまえは、創価学会が好きか?」と尋ねる。
池田先生は「嫌いです」と言えず、「好きです」と答える。


「おまえは、卑怯者だ。嫌いなら何故、好きな学会にしない。学会に評論家はいらない」



戸田先生に「学会が嫌いなら、おまえがうんと苦労して、おなえの好きな創価学会しろ」と言われ、池田先生は師匠の言われる通りに実践された。折伏一本だった学会を、民音をつくり、音楽隊・鼓笛隊をつくり、創価大学をつくり、富士美術館をつくり、カラフルに塗り替えられた。


「自分の好きな創価学会をつくる」


私も過去に「座談会がおもしろくない、楽しくない」と文句を言っていた時期があった。しかし、戸田先生の厳しい上記の御指導を思い出し、「座談会が楽しくないなら、自分が楽しくすればいい」と思い、コントや寸劇をしたり、地区の歌をつくったり、ピアノ演奏をしたりして座談会を盛り上げた。


いかなる時も「傍観者」ではなく、「主体者」でありたい。