生死ともに仏なり
私の父は、儀典部で友人葬の導師をしていた。
その時、父がいつも読んでいた、弔辞での御書の一節が心に刻みついている。
「い(生)きておわしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり」
(上野殿御家尼御返事 新・P1832)
昨日、25日に池田先生の学会葬の同中に参加させていただいた。
先生は、お亡くなりになられたが、私の「己心」の中で確かに生き続けている。
【妙法の説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる】
(2023年11月25日付聖教新聞2面)
今朝の新聞配達のとき、美しい月が出ていた。
先生に見守られているように感じた。
「よくやってくれているな。嬉しいよ」
と語りかけてくださっているようだった。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。