極悪と戦えば極善となる

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堂々巡りの戒壇本尊の議論

一、戒旦の御本尊之件 
  戒旦の御本尊のは偽物である。
  種々方法の筆跡鑑定の結果解った(字画判定)
  多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師
  の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている。
                              (阿部日顕による見解)



① 戒壇本尊の首題の「経」の書体は弘安三年三月以降のものである
② 座配に「大迦葉尊者」と記されているのも弘安三年三月以降のもので、その例外はない
③ 年号が明記されている真筆本尊には必ず太歳が記されているが、戒壇本尊の「弘安二年
  十月十二日」には太歳がない
④ 日禅授与本尊と戒壇本尊の首題が筆跡、大きさともに完全に一致している
⑤ 戒壇本尊が弘安二年当時の身延山に安置されていたという記録がない
⑥ 熱原法難の最中である弘安二年十月十二日の切迫した状況下で楠の巨大な板に彫刻し、
  漆を塗るなどの作業は困難である
⑦ 日蓮滅後の身延山は単なる墓地所で、五老僧および日興にとっても信仰の中心地的存在
  とは認識されていない
⑧ 「日興跡条々の事」の「弘安二年大御本尊」は同年に日興が日蓮から授与された
  「万年救護本尊」(保田妙本寺蔵、図顕は文永十一年)である可能性が高く、
  「弘安二年大御本尊」が戒壇本尊であるという根拠は皆無である
                           (金原明彦氏による見解)



【金原氏は戒壇本尊の日蓮直造を否定するが、戒壇本尊を本尊として認めないというのではない。「正しき弘安式の相貌を持った特殊な模写彫刻本尊であり、その点、他の模写本尊や、書写本尊、形木本尊と変わるものではないだろう」と述べている(中略)当初は当然、法華講衆による造立とされていたのが、やがて日蓮直造という伝承が生じ、法主を含めて門流全体に日蓮直造の信仰が定着していったと考えられるという。この金原説に対して日蓮正宗では機関紙「大日蓮」等で反論しているが、初めから結論が決まっている宗内向けの議論に
終始しており、全体に説得力に乏しい。とくに戒壇本尊と日禅授与本尊の首題が筆跡、大きさとも一致しているという肝心要の事実については、口を拭って何の反論も出来ていない。


(中略)仮に日蓮が巨大な板本尊を自ら造立し、自身の出世の本懐に当たる根本の本尊として身延に安置したならば、教義の根本である重大事として五老僧らの他門流を含む上古の文献に表れているはずであり、その存在を秘しなければならないという理由はなく、その記録が一切存在しないというのはあまりにも不自然である】
                         (須田晴夫氏による見解)


【然れば当時何事か宗祖の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、先師が曾て直ちに此の文(聖人御難事の余は二十七年なりの文)を以て戒壇本尊顕彰の依文を為れたやうだが、直接の文献はないやうである】        (堀日亨による見解)




創価学会は戒壇本尊を否定しているんじゃなくて、受持の対象にしないだけでしょ?
身延にある大聖人の御真筆の御本尊を受持の対象としないのと同じでしょ。
この議論、もう堂々巡りでウンザリだわ~
いい加減、議論されつくしている事を聞くのやめてもらえません?
以上、終わり。