極悪と戦えば極善となる

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山田さんへ

【日精上人は日寛上人の直接の師匠なんですね】


私が参考にさせてもらっている書籍には、「第十七世日精の説法を聞いて感銘を受け出家を決意」とありましたが、日精が師匠との文言はなく「自ら髻を切って常在寺に行き、第二十四世日永を師匠として得度、日永のもとで修業に励んだ」とありましたが・・・


【日寛の師である日永は、元禄五年、最後の要法寺出身法主である日啓の後を受けて大石寺第二十四世法主に就任すると本堂や諸伽藍の修理に努め、明本の一切経を整えるなど宗学の興隆を目指した。正徳元年にはかつて日目が興した蓮蔵坊を再建して学頭寮とし、日寛を学頭に任命して御書の講義にあたらせた(「続家中抄」「富士宗学要集第五巻 P275」)そこには要法寺流の影響を一掃して富士門流本来の教義を明確にしようとする意図をうかがうことができる】


あと、以下の堀日亨上人の見解についてもよろしくお願いします。


【精師の伽藍復興に生気を盛んならしめたるも、反面、化儀化法の一斑を攪乱せられ、二十二世俊師に至りてこれらの革正は着々と企てられ、二十四世永師に至りてその効大いに顕るるに至れり】(『富士宗学要集』第八巻 P256)