極悪と戦えば極善となる

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「事顕本」と「理顕本」Ⅱ

遠藤 ただの「隠居じじい」だと思っていたら(笑)じつは「前の天下の副将軍だった」と
   (笑)たしかに顕本です。


須田 悪人はぎょっとして腰を抜かし(笑)善人は大喝采。これは「顕本」の功徳ですね。


名誉会長 もちろん譬えていえば、です。外国の小説でいえば、巌窟王として有名な
     「モンテクリスト伯」博学で大富豪の伯爵が「正体」はエドモン・ダンテス
     青年の変わった姿だと明かすシーンです。これも一種の「顕本」といえるかも
     しれない。まあ、復習のためのドラマではあるが・・・


斉藤 水戸黄門をそれまで軽く見ていた人が「えっ」と驚く(笑)
   法華経でも、はじめ文殊菩薩とかの大菩薩は、釈尊の弟子ではなくて、他の仏の弟子
   ということになっています。そこで釈尊を「成仏したばかりの新仏」のように見てい
   るわけです。それが実は久遠からの仏なんだと教えられ、そういう迷妄を打ち破ぶら
   れています。


遠藤 そうすると、例の「助さん」「格さん」というのは、「脇士」ということですね(笑)


名誉会長 だから「黄門さま」の正体を知っている人は、「脇士」を見ただけでドキッとす
     る(笑)


須田 「あ、これは裏に、‘’親分(黄門)‘’がいるんだな」と(笑)


斉藤 事顕本と理顕本の関係も、それに似ているかもしれませんね。釈尊の「事顕本」
   を見て(聞いて)わかりの早い人は、その裏にある「理顕本」までわかってしまった
   ということです。


         (法華経の智慧 第五巻 「事顕本」と「理顕本」より)