極悪と戦えば極善となる

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「事顕本」と「理顕本」Ⅲ

名誉会長 御本尊の相貌は、中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」の脇士として、釈迦如来
     と多宝如来が示されている。そのまた脇士として地涌の四菩薩が示され、重々
     の脇士になっている。事顕本は、この脇士の「釈迦如来」の一身のことです。
     五百塵点劫という、はるかな昔に成仏しましたという「本果」を示した。
     また、その本果の功徳として、長遠の寿量と、あらゆる衆生を救う無限の
     智慧と慈悲を示した。その説法を聞いて、では、その偉大な「本果」とは、 
     いかなる「本因」から生まれたのか。本果の功徳が帰する「根源」は何か
     -それがわかったのが、理顕本を悟ったことになる。


遠藤 久遠の成仏の原因については、寿量品に「我本行菩薩道」(我、もと菩薩の道を行じ
   て)とだけありますが、その文の「文底」に、成仏の「本因」がある。これが「文
   底」の意味です。


須田 天台宗でも、文上・文底という言葉こそありませんが、これに通ずる考え方は、
   すでにはっきりとあります。それが「事用顕本」(事顕本)と「理体顕本」(理顕本)
   です。また「教相顕本」「観心顕本」という立てわけをする門流もあります。
   示そうとしている方向性は同じです。


斉藤 経文の表面に現れていない、‘’真実の顕本‘’があるーということですね。


名誉会長 それは何か。寿量品の説法は、釈尊個人についての顕本です。「人間釈尊」
     が自分の「生命の本質」を示したといってよい。これは、あくまで「個人と
     しての」顕本です。しかし、「文底」の顕本は、これとまったく違う。
     桁外れに違う。それは全宇宙的な顕本です。凡夫から仏まで、十界り一切衆生
     の顕本なのです。「文上」では、五百塵点劫の昔から説法教化し続けている
     「永遠性の仏」が示された。


須田   「久遠実成の釈尊」です。


               (法華経の智慧 第五巻 「事顕本」と「理顕本」より)