極悪と戦えば極善となる

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貫首の「造仏読誦」は許されるのか

大石寺十七世貫首日精の時代、敬台院により二天文や総門、御影堂などが建立寄進され末寺も増加したために、形の上では宗門は繁栄したように見えていた。しかし、堀日亨は「富士宗学要集」第九巻P69に以下のように述べている。


【日精に至りては江戸に地盤を居えて末寺を増設し、教勢を拡張するに乗じて、遂に造仏読誦を始め全く当時の要山流たらしめたり】


現代語訳


要法寺出身の日精は、江戸に地盤をかまえて末寺を増設し、教勢を拡張するに乗じて、ついに造仏読誦(釈迦仏像を造立し、法華経一部二十八品の読誦をすること)を始めて、全く当時の要法寺流としてしまった


日精によって、十カ寺を超える末寺に釈迦の仏像が安置されていた。



日興上人は身延の地頭・波木井実長が日向にそそのかされて釈迦仏像を造立したことは謗法であるとして、「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」(美作房御返事 御書新版P2166)と身延を離山され、釈迦本仏義を唱えた五老僧のことを「師敵対」と断じ強く破折されている。


日精が大石寺の貫首だったということだけで、『造仏読誦』が許されるというならば、
日興上人の【時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用う可からず事】
という御遺誡に完全に違背している。