極悪と戦えば極善となる

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置不呵責(置いて呵責せず)の文の事

仰に云く此の経文に於ては日蓮等の類いのおそるべき文字一字之り有り、若し此の文字を恐れざれば縦い当座は事なしとも未来無間の業たるべし、然らば無間地獄へ引き入る獄卒なるべし、夫れは置の一字是れなり云云、此の一字は獄卒なるべし謗法不信の失を見ながら聞きながら云わずして置かんは必ず無間地獄へ堕在す可し、仍つて置の一字獄卒・阿防羅刹なるべし尤も以て恐る可きは置の一字なり云云、


所詮此の経文の内に獄卒の一字を恐るべきなり云云、此の獄卒の一字を深く之を思う可し、日蓮は此の字を恐る故に建長五年より弘安年中まで在在所所にて申しはりしなり只偏に此の獄卒を脱れんが為なり


                     (御講聞書 御書全P842 新P1174)




仰せに云う、この経文においては、日蓮の弟子檀那が恐れる文字一字がある。もしこの文字を恐れなければ、たとえはじめは何事もないように思えても未来無間地獄の業になるのである。しからば無間地獄へ引き入る獄卒なのである。それは「置」の一字である。この一字は獄卒である。謗法不信の罪を見ながら聞きながらい何も言わずして放って『置』おくならば、無間地獄へ堕ちてしまう。よって、「置」の一字は獄卒であり、阿防羅刹である。
もっとももって、恐れるべきは、「置」の一字である。


所詮、この経文の内に獄卒の一字を恐れるべきである。この獄卒の一字深く思索するべきである。日蓮は、この「置」の字を恐れるが故に建長五年より弘安年中まで、いたるところで謗法を責めていったのである。ただひとえに、この獄卒をのがれるためである。



阿防羅刹とは・・・地獄の世界で、罪人を責めたて苦しめる悪鬼のこと
         凶暴な性格の地獄の獄卒