慈無くして詐り親むは彼が怨なり
【いふと・いはざるとの重罪免れ難し、云って罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら
置いていましめざる事眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり、章安の云く『慈無くして詐り親むは即ち是れ彼が怨なり』等云云
(阿仏房尼御前御返事 御書全P1307 新P1730)
言うと言わないのと重罪を免れるのは難しい。言って罪のまぬがれるものを(謗法を)見ながら聞きながら、放置して誡めないのは眼耳の二徳がたちまちにやぶれて大無慈悲になるのである。章安大師のいわく『相手を思う慈悲がなくて、詐り親しむことは、すなわち相手にとって、かえって害をなすのである』
【彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なり】
(同)
相手のために悪をのぞいてあげれば、即ち相手の親となるのである
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