極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

創価アンチブロガー法華講員達の共通点

・とにかく「戒壇本尊」へのおすがり信仰


・自分をみつめ、自己変革しようとしない


・魔がおこらないので、「創価より正宗が正しい」と錯覚している


・戸田先生や池田先生の昔の指導を持ち出し「戒壇本尊の優位性」をたもとうとする


・十界互具・一念三千の法理の知識はあるが教条的にとらえていて、生命でわかっていない


・学会は戒壇本尊の否定はしていないのに、「受持の対象から外した」とわめいている


・教学的知識はあるが、才におぼれ、傲慢で人を見くだす生命が強い


・創価学会批判しないと自己の存在意義を見出せない

仏法を破るのは師子身中の虫

「幹部として一生懸命頑張って信心を完結する先輩もいれば、退転し、敵対していった先輩もいました。その根本的な要因は、どこにあるのでしょうか」


「結論からいえば、奥底の一念が、広布中心か自分中心かということです」


「確かに‘’優秀ですごいな‘’と思っていたのに、退転していった人を見ると、自分中心でした。自己顕示欲が強く、皆と協調できず、先輩たちとも心をあわせていくことができませんでした。結局、傲慢であったのだと思います。また、そうした人のなかには、異性問題や金銭問題などで、周囲に迷惑をかけてきた人もいます」


「君のいう通りだね。私もそのような事例を少なからず見てきました。本当に残念でならない。自分中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本となる、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が‘’師‘’となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。だから、誰からも信用されなくなり、清浄な学会の組織にいられなくなるーこれが退転・反逆していく人の共通点の構図といえます」


「日蓮大聖人は、佐渡流罪のなかで、仏法を破る者は、外敵ではなく、『師子身中の虫』であり、『仏弟子』であると喝破されている。このことは、広宣流布を進めるうえで絶対に忘れてはならない。そうした事例は、今後も起こるでしょう。その時に決然と立って、悪と戦い抜くのが真の弟子です」


この伸一の言葉通り、やがて、学会支配を狙い、陰で宗門僧と結託していた悪徳弁護士(山崎正友)らが仮面を脱ぎ、正体を明らかにしていくのである。第二代会長・戸田城聖は「青年訓」のなかで、【同信退転の徒の屍を踏み越えて】と記している。
             
                 (新・人間革命30巻上 雌伏の章より一部抜粋)

退転ではなく「卒業」です

「胸襟を開いた対話」ブログや、創価ブログ村からも早く卒業しましょう。