極悪と戦えば極善となる

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日蓮正宗は大聖人御在世当時の「天台宗」

牧口が広宣流布の旗を掲げて、折伏に立ち上がった時、広宣流布をする決意など微塵もない宗門の僧侶たちは、それを激しく非難したのである。当時は、学会員が、不幸に悩む人を折伏し、寺に連れて行っても、ほとんどの寺が、‘’御授戒‘’を断っていたのだ。当初、学会員に御授戒する寺は、、わずか二ヶ寺にすぎなかった。僧侶たちが大切にしていたのは、身分が高い、富裕な檀徒であった。


大聖人は「上一人よ下万民一同に帰伏する正法なり」と仰せであるにもかかわらず、彼らの多くは、民衆に慈悲を注ぎ、布教の手を差し伸べることはなかった。病苦や経済苦をかかえた民衆は、実入りが少ないだけの、面倒くさい存在と感じていたのであろう。また、折伏によって競い起こる、法難を恐れていたのである。


そんな僧侶たちに、牧口常三郎はどれほど心を痛めてきたか。牧口の宗教改革の最大の障害は、実に宗門にほかならなかった。彼は、次のように述べている。


【日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗のなかでも『日蓮正宗』に相当すると思はれる】


【さらば従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問わねばなるまい。そして魔が起こらないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか】


御聖訓に照らして、三障四魔が競い起こらぬということは、広宣流布の戦いを放棄しているからである。牧口は、そうした臆病な僧侶の「保身」がもたらす罪悪性を、鋭く突いたのである。(新・人間革命8巻 宝剣の章より一部抜粋)