極悪と戦えば極善となる

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折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主

弟子の戸田城聖もまた、宗門の「悪」とは戦い続けてきた。戸田は言う。


【折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたがって居る坊主は狐坊主だ。御布施ばかりほしがる坊主は乞食坊主だ】


【御僧侶のなかには、また次のごとくいうであろう。『めったやたらに本尊はお下げしない』と。とんでもないことである。そんなことで寺は建ったが、本尊を下げわたさないというならば、寺は建ったが、なんの働きもしない。ただ坊主の寝床をつくったに過ぎないということになる】


【自分に力がなく、また、いいかげんだというと、信者の実力ある者のきげんをとって、そうして、その、自分の地位を安定せしめようとする坊さんがある。そういう坊さんに機嫌をとられた信者は、かならず退転して、ろくな目にあわない】


戸田城聖は、悪侶には、このうえなく厳しかった。彼は堕落しきった僧侶の姿を目にすると、決して、容赦しなかった。激しく怒鳴りつけることもあった。だから、戸田が本山に行くと、やましさのある僧侶は、すこすごと逃げ出していった。ところが、戸田が帰ってしまうと、酒を酌み交わし、彼を、口汚く罵る僧侶たちもいたのである。


「信徒の分際で、つべこべ抜かしやがって・・・」
              (新・人間革命8巻 宝剣の章より一部抜粋)


醜い坊主根性を叱責されたのか、日顕は戸田先生のご逝去の折り、「大白蓮」に次のような追悼文を寄せている。


「私の罪障と云はうか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和24年頃の私は、自らの心にある垣根を作り、それが円融闊達にして、師厳導尊なる先生の精神に半ば通じないことがあった」