まことの「信心の血脈」Ⅰ
「ここの信心は濁っているな。すっきりさせなければ、いずれ大変なことになるだろう」
この座談会の折、信徒の一人で、時計店を営む宮田弥次郎という壮年が、戸田に指導を求めた。宮田は、脊椎カリエスに悩んでいた。病院を転々としてきたが、よくならないというのである。
戸田は、宿命の転換のためには、折伏が大切であることを語り、広宣流布に生きる決意を促した。宮田は、戸田の指導を受けて、目から鱗が落ちるような思いがした。古くからの日蓮正宗の信徒ではあったが、肝心の折伏をしたことはなかった。彼は、折伏に励む決意を固めた。そして、群馬県の大胡町と栃木県の豊田村(当時)にある、二つの日蓮正宗寺院の信徒と、学会員で構成した「正法会」という組織の会長となって、活動を開始した。
戸田は、その後もしばしば桐生に足を運び、指導にあたった。しかし、「正法会」については、戸田は何も言わなかった。ただ、こう語っていた。
「諸君は『広宣流布は私がやります』と言えますか?言えないだろう。はっきり言おう。これは私しかできないことなのだ。やがて、この戸田が本格的に立ち上がる時には、一緒に広宣流布をやろうじゃないか」
(しかし、正法会の会長の宮田は、戸田先生の会長就任式に参加しなかった)
「同じ御本尊を拝んで、同じように折伏している。我々は、我々で頑張ればよいのではないのかね」
宮田は、戸田に反発しているという気持ちはなかった。それなりに、尊敬も感謝もしていたが、広宣流布の使命を自覚した戸田の獄中の境涯も、仏意仏勅による創価学会の組織の意味もわからなかった。つまり、まことの「信心の血脈」がわからなかったのである。
(続く)
新・人間革命4巻 P90~凱旋の章より一部抜粋
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